私が精神病に?娘の泣き声に思考停止…手放せなかった睡眠薬

『精神疾患なんてあり得ない』生意気を言ったから罰が当たったのか。

新米ママを襲った自律神経失調症。

なるはずもないと思っていた精神病はすぐそばに潜んでいた。

身体が訴える不調に耳を傾けることもなくかろうじて支えていた糸が切れた後はガタガタと落ちていくだけだった。

自律神経失調症とは、身体に様々な不定愁訴が表れ、しだいに心が追い付かなくなり最終的には心まで壊れていく精神系の病気です。

子育てが大変だということは覚悟はしていましたが、その大きいようで小さな覚悟は簡単にのみ込まれてしまうのでした。

様々な不定愁訴に悩まされた初めての育児

娘が2歳の頃心療内科で自律神経失調症と診断され、娘が3歳になる1年間の間とても辛い日々を過ごしました。

娘は待ち望んだ赤ちゃんでした。

高齢出産でも、子供を授かりにくいわけでもなかったのですが、私にとってももちろん主人にとっても待望の赤ちゃんだったのです。

忙しく働いていた頃とは違い、妊娠中の生活は人生で初めてと言えるほどゆっくり充実した毎日でした

順調に妊娠が進み主人立ち合いのもと無事出産を終え、初めての育児がスタートしました。

里帰り出産もせず、誰にも手伝ってもらえない環境での子育ては妊娠前の身体に簡単に戻せるわけもなく、忙しい主人とどうにかやり過ごしていました。

娘は昼と夜を間違えていて全然寝てくれることはなく、昼と夜を間違えるわけにもいかない私は、厳しい睡眠不足に襲われました。

育児から逃げたい理由はたくさんありました。

寝てくれない、泣いてばかり、ゲップが出ない、母乳が出ない、家事をしなくてはいけない、主人には頼れない。

2歳の頃限界を迎え、主人に

「心療内科に連れて行ってほしい」

と伝えましたが、新生児の頃から私の身体はだんだん壊れていっていたのだと思います。

こんな私のもとでも娘は日々成長していました。

毎日24時間一緒にいた娘の成長をこの目で確かに見ているのに、あの頃は胸がただただ苦しくて一度しか見れない成長を今でもあまり覚えていません。

育児と家事で足早に過ぎていった日々でしたが、毎日自分の身体のどこかがおかしく、

頭が痛い、
お腹が痛い、
背中が痛い、
めまいがする、
頭の中がモヤモヤする、
手が震える、
体温調節が出来ない、
呼吸が苦しい、
子育てから逃げたい、

誰にも相談は出来ませんでした。

外に出るときや誰かに会うときは必死に隠していました。

もちろん主人にも話したことはありません。

私が病院に連れて行ってほしいと伝えるまでは知らなかったと思います。

全身が本格的に悲鳴をあげ始める

身体がそろそろ限界だと感じ、私は病院へたくさんかかりました。

頭が痛いから痛み止めを、胃が痛いから胃腸薬を、めまいがするからめまいに効く薬を、耳鼻科では頭のモヤモヤが取れる薬まで処方してもらいました。

私は自分が何か重たい脳の病気だと勘違いをし、怯えていました。

たくさんの薬を処方してもらい飲んでいると副作用でお腹が妊婦のように大きくなりました。

でも、私は旦那に話さずに治すことに必死でした。

その頃の主人が背負っている仕事は結果を求められるもので、主人には迷惑をかけたくなかったからです。

そして主人は

「お金がない」

が口癖でした。

確かに余裕は全くありませんでした。

そんなつもりで発した言葉ではないだろうに、私は責められているように感じていました。

こんな状況でしたが娘が認可保育園に入れるまで認可外保育園に入れてパートをすることにしました。

レストランでウエイトレスのパートをしていました。

パートをしていたのはたったの三ヶ月でした。

この三ヶ月で私はゴロゴロと落ちていきました。

よく”色を失くす”と表現されますが、私もその中の一人で灰色の世界が次に待っていました。

パートをしていた三ヶ月は、

常にフラフラしていて真っ直ぐ歩くことが出来ない、
ろれつが回らない、
相手の言うことが理解出来ない、
誰かと話しているといきなり音を失い相手が口パクをしているように見える、
物忘れが増える、
笑うということが分からない、
いきなり倒れる、

最後は娘を預けている認可外保育園の場所さえ分からなくなりました。

心療内科へ通い始める

最後にかかった病院でも病名を告げられることはなく、やっと心療内科に行かなくてはと思いました。

心療内科で薬を処方されることに抵抗はありましたが、誰でもいいからとにかく助けてほしかったのです。

私にとって心療内科はとても暗いイメージでしたが、クリニックはとても明るく、とても優しい先生がいらっしゃいました。

初めての日は、家族構成や職歴などを聞かれました。

会話や表情を見ながら置かれている状況や私の性格などを見ていたのだと思います。

診断結果は『自律神経失調症』。

少しでも平然を装い漢方薬を処方してほしいと言う私に、先生は

「漢方薬ではもう治りません」

と言いました。

そして一番弱い精神安定剤と睡眠薬を処方してもらいました。

主人だけが残され先生と話していましたが、元気になってから先生が何と言っていたのか聞くことが出来ました。

「奥さんは一生精神安定剤が手放せないかもしれません」

と言われたそうです。

出来るだけ不安に思わずに薬を飲んでくださいと言われていましたがやはり恐ろしかったことを覚えています。

睡眠薬を飲むと、すぐに眠たくなり朝まで全く目が覚めませんでした。

本当に久しぶりに眠ったような気がしました。

精神安定剤のおかげで一時的に元気になっただけでしたが、

『私はもう治ったのだ』と思いました。

ですが、元気な時間も長くは続きませんでした。

違う薬で振り出しに戻る~振り出しに戻って辛いのは私だけではない~

違う症状が顔を出して私を襲いました。

飲んでいた薬は気持ちが落ちつく薬でしたが、何故なのか娘の泣き声、ぐずっている声を聞くと、身体が一気に痛くなり動かなくなりました。

怖くなり、先生に相談すると先生は

「本当に良く頑張っていますね」

と違う薬を処方してくれました。

副作用として生理を止め母乳が出る薬でした。

パニック症状を抑える薬でしたが、薬を信頼していない私にはピタッと生理が止まり、息切れやひどいめまい等の副作用ばかりが出るのでした。

この頃の娘は、こんな母親の状況を知っているのか夜驚症になりよく悪夢を見ているようでした。

毎晩

「来ないで来ないで」

と眠りながら泣き叫ぶ娘を見るのはとても辛かったです。

主人の仕事は相変わらず忙しく、朝早く出て夜遅く帰って来る、週末もあまり家にはおらず主人にもあまり頼ることは出来ませんでした。

親に心配させてはいけないと親にも兄妹からも連絡を絶ち内緒にしていました。

主人以外は誰も知らない環境の中でしたが、何年かぶりに会った幼馴染には一瞬でばれてしまうのでした。

情けない惨めな思いでしたが、分かってくれた人がいたことは孤独だった私にとってとても大きな救いでした。

娘が泣くのが怖い
~あえて外に出ることが私を安心させてくれた~

私が子育てで最も辛かったことは、娘の泣き声とイヤイヤ言うことでした。

娘の泣き声は私の判断力や思考を停止させるものだったので、どうしたらいいのか分からずになす術がなく身体が動かなくなることが何よりも辛いことでした。

先生に精神安定剤を飲むことが怖いと相談すると先生は最初に私が言った漢方薬を処方してくれました。

睡眠薬はなくすと眠れなくなるので最後まで飲んでいました。

漢方薬の効き目は正直すぐ目に見えるものではありませんでしたが、怖い思いをして飲んでいた薬よりはずっと安心できるものでした。

日に日に成長していく娘は公園が大好きでした。

私は重い身体を起こしどうにか毎日公園へ出掛けました。

2週間に一度ある子育て教室にも通っていました。

予定を入れるのが怖かったので何も予定がない私と娘は子育て教室の皆勤賞をもらいました。

最初は息苦しかった子育て教室も次第に楽しくなりました。

おかげさまでたくさんのお友達が出来ました。

完璧に治ったわけでも、お友達の誰かに打ち明けるわけでももちろんありませんでしたが、少しずつ自分の中で確実に変化が起きていました。

一歩自分を試す行動に出る~睡眠薬を切る!?~

少し自信がついた私は睡眠薬を半分に割って飲み始めました。

半分に割った睡眠薬でも眠れることがまた自信となりました。

1ヶ月とりあえず過ごしてみました。

1ヶ月毎日半分の睡眠薬で眠ることに成功しました。

それから睡眠薬を四分の一に小さくして飲むことにしました。

四分の一の小さな薬でも眠れた最初の日は涙が出るほど嬉しかったです。

私の症状は一進一退を繰り返しました。

食事をなかなか食べない娘のスプーンを壁に投げつける日もありました。

体調が悪いから横になっているのに私のそばを離れたくないと泣きわめく娘にうるさいと怒鳴ったこともありました。

ですが自然に笑えるようにもなりました。

娘が産まれてから辛かったのは娘が酷い人見知りであること、成長し外で遊べるようになり公園に行っても子育て教室へ行っても娘は私以外の子供たちや先生と遊んでくれないことでした。

私の横から動くことなく、挨拶も返事もせず、私と一緒に同じことをして遊ぶ、または私の近くで遊んでいたことです。

それは主人と一緒に居ても、義実家に行っても変わりませんでした。

誰かに預けることが出来たらどんなに良いだろうかといつも思っていました。

こんな姿の自分を、私自身が受け入れられずに誰の役にも立てないことが更に自分を苦しめました。

初めてこれまでの自分を許す。
~たくさんの娘の優しさに気付く~

小さな薬で寝付けるようになり、少しずつ身体が回復に向かい始めてやっと、

『ここまでの子育てが辛かった』

と正直に受け入れることが出来ました。

自分の子育てを自分で許し、本当にある日薬を飲み忘れて寝たことで毎晩離すことが出来なかった睡眠薬も手放すことが出来ました。

娘は今年で6歳になります。

一人では自律神経失調症を乗り越えることは出来なかったかもしれません。

娘と主人が居たから重い身体をあげ、子育てをし、外出、家事をしなければならない環境だったからこそ少しずつ回復出来たのだと思います。

薬がなくても眠れるようになった時はちょうど3歳になる年の春でした。

体調が酷くなってから長い間バスに乗ることが出来なくなってしまい、連れて行っていたのはいつも同じ公園でした。

その春の日も同じ公園に着いて遊ぼうとした時、娘は一人で滑り台に駆けて行き一人で遊び始めました。

月例が近いお友達とも楽しそうに順番に滑り台を滑っていました。

今まで一人で遊ぶことの出来なかった娘からは信じられない光景でした。

一通り遊んだ後、ベンチに座る私のもとに走ってきて言いました。

「お母さん、元気になったから遊んでくるね」

私はその時初めて知りました。娘は私のそばから片時も離れずに居てくれていたのだと。

とても申し訳ない思いでしたが、感謝しても感謝しきれなく今でもあの日の娘を思い出します。

最後に
~安心してほしい。お母さんの想いはお子さんにきっと届いています。~

心療内科への通院はいつの間にか卒業していました。

子育てがこれほど孤独で辛いことだとは思っていませんでした。

先生から頂いた言葉の中に

「娘さんは大きくなったらお母さんを必ず助けてくれますよ。子供というのはしてもらったことをするものです」

という言葉がありました。

娘に何もしていないから私には無理だろうと聞いた時は思いましたが、今は娘が私の頭を撫でてくれます。

今もきっと多くのお母さん達が一人で悩み、苦しんでいることと思います。

助けを求めることは決して悪いことではありません。

助けてほしいと声に出すことで少しでも変わるかもしれません。

自分はダメな母親ではなく、許してあげると楽になるかもしれません。

毎日心休まる暇もなく頑張っているあなたを誰も責めたりしないのです。

全てのお母さんの心の負担が少しでも軽くなることを心から祈っています。

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