育児ストレスでうつ病と潰瘍性大腸炎に。孤独な子育てに大切なこと

引っ越したばかりで、夫以外の家族や友人、知人もいない新しい土地での子育ては、とても孤独でした。

いつの間にか笑顔をなくし、ついには病気になって初めて、周りに助けを求めました。

私を助けてくれたのは精神科医の先生でした。

初めて、辛い気持ちを理解して貰い、私の心は救われました。

そして、子供の成長と共に、私の病気も良くなっていきました。

子育ては、一人で抱え込まず、周りの理解やサポートがとても支えになると痛感しています。

孤独な育児

私の子育ては、アメリカの新しい街から始まりました。

夫は、私の懐妊のタイミングで数年働いていた職場を辞め、その後は職を転々としていました。

娘が生まれた2か月後、夫の都合で引っ越すことになりました。

前住んでいた地区からは車で1時間ほどかかります。

新しく住むことになった町は治安が悪く、家の裏手にある小川沿いを歩いていた時には、ライフル銃をもっている警察官に

「銃を持った人がうろついているので、気を付けて。」

と言われたこともありました。

通りを挟んだ住宅街では、麻薬のディーラーが捕まったという話を聞きました。

近くのガソリンスタンドには常に警備員が配置され、近くのスーパーには警察官が常駐していました。

少し離れたお店では、大量の服を両腕に抱えて車に飛び乗るという万引き場面を目の前で目撃したこともあります。

歩いていける場所にはお店も公園も、何もありませんでした。

さらに気候が厳しい土地で、夏は35℃を超える日も多く、冬には-20℃まで下がります。

公共の交通機関は近くになく、日本の小学校や児童会館等で開催されているような、徒歩圏内にある子育てサロンなども全くありませんでした。

私の子育ては孤独な子育て、いわゆる『孤育て』でした。

睡眠不足、引きこもり、育児から逃げる夫…

赤ちゃんの時は、お昼寝をたくさんしてくれていたので、まだ自分の時間が少しはありました。

1歳を過ぎると、娘はお昼寝を全くしなくなり、起きている間は目を話すことができなくなりました。

娘に持病がある為、私は毎晩看病をしなければならず、熟睡できるのは2~3時間あるかないかという生活の中で、目が離せない娘のお世話を毎日一人でする生活は、想像以上に辛かったです。

家に毎日籠っている生活が続くと、段々気分が鬱々としてきます。

気晴らしに買い物へも行けない、大人と話す時間もない、周りに誰も助けてくれる人、一緒に話して笑える人がいない生活はとても寂しく孤独でした。

毎日誰とも話さずにいると、段々寂しいという感情さえもわからなくなっていきました。

娘の前では笑顔で話しかけることを心がけながらも、次第に声を出して笑うことさえなくなっていました。

娘のお世話で1日が終わる毎日、自分自身の楽しみや時間が全くない毎日、生きている意味が段々わからなくなってきました。

そのうち、訳もなく涙がでてくるようになり、食べることさえも興味がなくなり、10キロ近く痩せました。

毎晩遅くに帰宅する夫。

新しい土地で友人がいない私とは違って、夫は仕事先で会うお客さんや知人と飲みへ行ったり、スポーツをしに出掛けたりします。

お願いだから車を買って欲しいという願いも聞き入れられず、1日でも良いからベビーシッターを頼みたいと言っても贅沢すぎると断られ、少しでも早く帰って来て娘の面倒をみて欲しいと頼んでも、仕事で無理だと言われます。

唯一外出できる週末さえも、夫が仕事で出勤してしまうことが多くなり、夫婦間の喧嘩が増え、鬱々とした怒りやストレス、そして疲れが日に日に溜まっていきました。

娘が寝た後が唯一の自分の時間ですが、寝かしつけに3時間かかる日が多々ありました。

夜中まで寝ない日は、耐えられず、怒りを抑えられない自分がいました。

「なんで、寝てくれないの!」

と娘に怒鳴ってしまっては、自己嫌悪に苛まれます。

私はなんてダメな母親なのだろうと思いました。

どうにか怒りやストレスを自分の奥底に押し込めて、娘の前では笑顔を絶やさないようにがんばろうと毎日をやり過ごしていました。

潰瘍性大腸炎と診断

徐々に腹痛が増え始め、歩けなくなるほどの激痛に襲われるようになり、最終的に出血しました。

病院で検査の結果

「潰瘍性大腸炎です。今のところ根本的な治療薬はなく、難病です。
病気とは一生のお付き合いになるので、症状をいかにコントロールするか、薬を使いながら治療をしていきましょう。
一番の原因はストレスと言われているので、軽減できる方法を探していきましょう。」

と言われました。

そして、医師と相談した結果、精神科医を紹介されました。

精神科へ…うつ病と診断

医師の紹介を受け、精神科へ通うようになりました。

夫は朝9時に出勤するので、7時半から開いている病院を探し、ただでさえ寝不足な毎日の貴重な睡眠時間を削って、精神科に通うことになりました。

自分でもこのままではおかしくなってしまうという危機感があったのだと思います。

精神科医はとても温和な年上の女性でした。

医師自身も子供がいるので、私も安心して話すことができました。

診断の結果、うつ病になっていると言われました。

それでも、私にはぎりぎりのところではありましたが、娘のために、何とかしっかりしていようという強い気持ちがまだ残っていました。

その為、医師に進められた、向精神薬は飲まずに、睡眠時間を増やすための睡眠導入剤の処方を受け、毎週1時間のカウンセリングを受けるようになりました。

一人で車を運転し外に出られる喜び、そして1時間自分の思いの丈を自由に話せる時間、子育ての悩み、眠れない日のこと、夫のこと、色んなことを精神科医に聞いて貰いました。

初めて自分の辛い気持ちを聞いて貰い、理解を示し、一緒に解決方法を探してくれた人です。

精神科医が、

「よくこの辛い状況の中、一人で頑張ってきたね。」

と言葉をかけてくれた時、涙が止まりませんでした。

娘の成長により生まれたゆとり

以前は、娘の病状が落ち着く明け方、寝ようと思ってもすぐに寝入ることが難しく徹夜となってしまう日も多かったのですが、薬のお陰で、寝ようと思う時にすぐ寝入ることができるようになったことで、私の睡眠時間が増えました。

睡眠時間が増え、気持ちにゆとりができ、楽しむ余裕が生まれました。

何とかその日をやり過ごすことで懸命の毎日ではありましたが、徐々にどうしたら自宅で育児を楽しむことができるかと、考える心のゆとりができました。

そして、娘が大きくなるにつれて、一緒に楽しめること自体が増えていくことに気がつきました。

娘とたくさんの本を読み、たくさんの絵を描きました。

当時「アナと雪の女王」が大好きだった娘と一緒にDVDを見ながら歌って踊りました。

そして、何よりも楽しかった思い出は、工作を作って家中に飾り、季節ごとに家のデコレーションをしていたことです。

娘の好きな飾りやキャラクターを作り、家をにぎやかに華やかに飾ることで明るく過ごせるように、心がけました。

時には娘と二人で、バルコニーに敷物を引いてピクニックをすることもありました。

バルコニーで小さいビニールプールを用意して水遊びもしました。

お菓子やパンも全部手作りにして、娘と一緒に作りました。

たくさんのぬいぐるみとおもちゃの家を買って、娘の友達を作りました。

孤独な時間をどうやって楽しむか、試行錯誤の生活は娘が3歳になって車を買えるようになるまで続きました。

孤育てを乗り越えた先

一人で小さな赤ちゃんの命を守り、育てるということは、責任が重く不安になることが多かったです。

今だから思えることは、新米ママで失敗だらけでも、子供は毎日色んなことを学び、成長してくれるということです。

言葉もわかるようになってきて、できないことがいつの間にかできるようになっていき、あっという間に大きくなります。

あの孤独感は、苦しみは何だったのかと思う日が必ずやってきます。

そして、周りのサポートが何よりも大切だと思いました。

一人でも辛さを理解してくれる大人がいる、それだけでどれだけお母さんが救われることか、私は精神科医の先生との出会いに心から感謝しています。

孤独な状況を全て変えることは難しいですが、鬱や潰瘍性大腸炎という病気を抱えながら、娘との時間だけは何とか楽しいものにしようと心がけていました。

小さかった娘が私と一緒にやって楽しいと思えたことは、今の娘の好きや得意につながっているようです。

そして、私と娘が家で過ごしたたくさんの時間は、娘の心の中に大切なお母さんとの楽しい思い出として、今も鮮明に残っているようです。

どんな状況でも、お母さんの一生懸命な気持ちは必ず子供に届き、伝わっているのだなと実感します。

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