「きょうだい児」自閉症の弟を持つ私を変えた友人の言葉

「きょうだい児」という言葉をご存知でしょうか?

きょうだい児とは障害を持った子の兄弟姉妹のことをいいます。

私の弟は知的障害を伴う自閉症で、私自身が「きょうだい児」として生きてきました。

きょうだい児には周りが理解しにくい問題があるといわれています。

今回は、私がきょうだい児として、自身が感じてきたことや悩んできたことをお話したいと思います。

きょうだい児が抱える問題

「きょうだい児」私もこの言葉を初めて知ったのは数年前のことでした。

障害児を抱える親の問題についてスポットは当てられます。

しかし、私の子ども時代は、きょうだい児についてスポットがあたることもなく、きょうだい児への支援も情報もあまりありませんでした。

そんな私が当時、きょうだい児として辛かったことや悩んだことをまとめました。

親がいなくなった時、将来へのプレッシャー

多くのきょうだい児は、この問題について悩むのではないかと思います。

基本的に両親は子どもより先にいなくなります。そのため親がいなくなった後は、そのきょうだい児が面倒をみなければという重圧を感じてしまうのです。

私の場合は、親から

「自分たちが死んだら、お前しかいないから弟のことは頼むぞ。」

二人姉弟の私は常にこう言われ育ってきました。

また親戚からも

「お姉ちゃんがいたら親も安心ね!弟を助けてあげてね!」

とも言われてきました。

そのため、いつしか私は「将来の弟の面倒を見なければいけない」思うようになっていました。

しかし、幼い私にとってそれは大きなプレッシャーであったのも事実です。

「弟の面倒って言うけど、自分は結婚もできないのだろうか?」

「この家で弟とずっと二人で暮らし一生を終えるのだろうか?」

子どもながらに、そんなことを考えるたび、将来に光が見えず心が苦しくなりました。

きょうだい児の私は優等生になるしかない

「優しいお姉ちゃんだね!」

「しっかりしたお姉ちゃんで偉いね!」

障害児の弟の姉として、親や周りからこんなことを言われてきました。

周囲から「優しくしっかりした姉」とういうレッテルを貼られた私。

私は

「優しくなんてないし、しっかりもしたくない!!」

と心の中でいつも叫んでいました。

しかし、当時の私は、本心とは裏腹にそうなるよう行動するしかありませんでした。

逃げ場もなく、幼いながらにそうしないと私は生きていけませんでした。

ところが、私は思春期に入るとその我慢が爆発して学校で問題を起こすことがありました。

人生で初めての反抗。

しかしその時、両親はもちろん、先生までも

「弟のことを考えろ!」

弟を切り札に出してきました。

私は弟のことを言われると何も言えませんでした。

周りに私が問題を起こした理由が弟のせいだと思われるのが嫌でしたし、世間からそう思われる両親にも申し訳ない。

また弟が理由なら私の中で「弟自体を否定する」ことになってしまう。

揺れる感情を抑えながらも、私は、弟も両親も守りたかったのでしょう。

私はこの時からとにかく余計なことはしないで生きていこう。

そう言い聞かせ「自分」を封印したのです。

相談できる人は誰もいない。孤独になるきょうだい児

同じ境遇の友達も周りにいるはずもなく、私はいつも一人で悩んでいました。

両親に相談することもできたのかもしれません。

しかし、弟に手がかかるので私は余計な心配をかけたくありませんでした。

「自分さえ我慢すればいい」私はそう思っていました。

私は周りの友達にも弟のことは話せませんでした。

弟はパニック症状も出ることがよくあったので、友達も家に呼べませんでした。

友達と兄弟姉妹の話題になると気まずく、いつも話をはぐらかしたりしていました。

「弟のことを知ったらみんなどう思うだろう?」

弟の障害のことを話すのは、とても勇気がいることでした。

また、たとえ勇気を出して話したところで、友達は、障害児がどんな感じなのかも想像がつかないでしょうし、反応が怖くて相談などできませんでした。

当時は、今のようにインターネットが普及していなかったので、情報を集めることも、SNSから他のきょうだい児の人と繋がることもできませんでした。

私の両親は、弟の将来のことや具体的なことを何も教えてくれませんでした。

そのため、私は子どもながらに悶々と一人で悩み、とても孤独でした。

大人になってからも周囲に、自分から弟のことを話すことはありませんでした。

この悩みは、今後一生胸のうちに秘めていくのだと感じて生きてきました。

障害が遺伝するかも…結婚への諦め

「自分が弟の面倒をみなければ...」私の心の中には常にそんな気持ちがありました。

結婚する前、何人かおつきあいした人はいましたが、彼氏に弟のことを詳しく話したことはほとんどありません。

そして、親に紹介することもありませんでした。

また、当時の私は「自分は一生結婚することはない」とも思っていました。

当時、周りにもそれを公言していたし、ましてやそれを付き合っていた彼氏にも話していました。

なぜならそれは、自分のパートナーに「弟の面倒」という重荷を背負わすのは無理だと考えていたからです。

また、自分の子どもに障害が遺伝するかもしれないという不安もありました。

そのため自分は一生親になることもないと漠然と思っていました。

また、結婚を考えるくらい大切なひとができても、弟のことで結婚が破談になるようなことがあるかもしれない。

誰かと付き合っていても常にそんな不安が拭えなかったのだと思います。

当時を振り返ると、「自分で結婚を諦めさせた」というのが正解かもしれません。

私にとって、自分が傷つかないための自己防衛だったのかもしれません。

「弟のために…」自分らしく生きられない

「弟のためにお前がしっかりしないと!」

両親は私によくそう言っていました。

そんな私は、進学、就職、においても私は両親が安心するような道を選んできました。

高校を卒業して進学したい学校がありましたが、その学校は地元から遠く離れた場所でした。

「地元を離れる=弟の面倒をみられなくなる」

この理由から親に反対され、その道は泣く泣く諦めました。

私は、弟の将来ことを考えると両親を説得する勇気もありませんでした。

弟のため、両親のため...気づけば私は地元の福祉系の学校に進学することを選んでいました。

そして、卒業後はそのまま福祉系の仕事に就きました。

福祉系の仕事も好きだったので良かったのですが、あの時、違う道を選んでいたらとふと考えることがいまだにあります。

きょうだい児の私を変えた友人の言葉

「弟のため、両親のため...私が頑張らなければ...」

そんな思いを胸に抱えながらも、私は社会人となりそれなりに充実した日々を送っていました。

そんなある時、友人とふたりお酒を飲みながら話をしていました。

その時、私は、友人に弟のことを思い切って打ち明けました。

きょうだい児として今までのことや、自分の胸の内をあらいざらい話しました。

すると友人は

「○○ちゃん(私)は自分の人生を生きたほうがいいよ。」

一言そう言いました。

「自分の人生を生きる...私にはそんな選択肢があるの?」

とはじめて考えました。

普通なら当たり前のことなのかもしれません。

しかし、幼いときから私はそう感じて生きてきませんでした。

しかしこの時「自分の人生を生きる」この言葉が私の胸に深く突き刺ささりました。

私は、今までの自分の人生について改めて思い返してみました。

「今までやりたかったこと何もしていない...このまま人生終わりたくない」そう強く思いました。

それからは、今までやりたかったことを次々に実行しました。

実家を離れて一人暮らし、短期留学...など。

もちろん両親には反対されました。

しかし、私は今までのように諦めませんでした。

なぜ、そうなれたのか今でも自分でも分かりません。

私は自分のやりたいことをやり、はじめて両親や弟から解放されたような感覚でした。

そして、この時、生まれてはじめて心から人生が楽しいと思えました。

その後、縁あってすることのないと思っていた結婚もすることになりました。

私にとって結婚をしたことも大きな転機になりました。

自分の人生は、結婚をしてようやくはじまったと感じます。

「自分の人生は自分自身のもの」

今後の人生を「自分らしく」生きていければと思います。

弟・両親への思い

弟のことは恨んでいません。

障害がある弟と過ごしたことで、自分の視野が広くなったし、価値観も変わりました。

福祉の仕事にも出会えました。

今の自分があるのは、弟のおかげという部分も大きいと思います。

一方、両親に対して、私の思いは少し複雑です。

もちろん障害がある弟を育てることは、親として、はかり知れない悩みや苦労もありました。

私自身も、それをいつもそばで見ていたので、そんな親の苦悩は理解していました。

また、自分も親になった今、障害児を育てた両親は本当に大変だっただろうと改めて感じます。

しかし、両親は口癖のように、

「お前には障害がある弟がいるから、しっかりしろ!」

「親が死んだ時はお前が面倒をみないとだめだ。」

私はこう言われて育ってきました。

もちろん、親が我が子の行く末のことを心配する気持ちも分かります。

親なら当然のことです。

弟のことを姉の私に託したい気持ちも分かります。

しかし、私は幾度となくこの言葉の重圧に押し潰されそうになりました。

物心ついたときから私は「重荷」を背負っていました。

親に甘えることもできず、子どもらしいこども時代を過ごせなかった。

誰にも相談できず孤独を抱え、何度も逃げ出したくなった。

しかし、逃げ出すことも決して許されなかった。

正直、自分自身が「何のために産まれてきたのか」分からなくなったこともありました。

私はただ、両親にこう言って欲しかった。

「お前は弟のことは何も心配しなくていいんだよ。」

もし、時が戻るのなら、当時の私にかけて欲しい言葉です。

しかし、過去には戻れない。

私は過去を受容し前を向いて生きていくしかありません。

おわりに~きょうだい児の経験から伝えたいこと~

親や周囲(社会)は障害者を支える「優しいきょうだい児像」を求めてきます。

たとえそれが自分を犠牲にしたとしても...。

私はこのプレッシャーにずっと苦しんできました。

きょうだい児が私のように

「苦しまないで欲しい」

「きょうだい児の思いを知って欲しい」

そんな一心で今回この記事を書かせて頂きました。

また、今回お話したのは、私のほんの一例にすぎず、障害の重さや両親の姿勢によってきょうだい児の状況も人それぞれだと思います。

しかし最後に、私がきょうだい児の経験を通して、きょうだい児をもつ親御さん、きょうだい児の方にお伝えしたいことがあります。

まず、きょうだい児をもつ親御さんに伝えたいのは、きょうだい児に「重荷」を背負わせないで欲しいということです。

きょうだい児は

「自分が面倒をみなければ」

不安ながらもそう「覚悟」を決めている人が少なくないと思います。

ですから、親が

「将来は心配ないからね。」

その一言をきょうだい児にかけてあげて欲しいです。

また、きょうだい児は、

「障害がある兄弟を守らなければ」

という義務感から自己犠牲にしていることが多いと思います。

いくら「手のかからない良い子」に見えても、少しだけ心の内に目を向けて欲しいです。

そして、

「あなたは、気にせず自分の人生を生きてね」

そう言ってあげて欲しいです。

それだけでも、きょうだい児は救われると思います。

そして、きょうだい児の方は、悩んでいたらまず「他のきょうだい児」と話してみることをおすすめします。

現在は昔とは違って、きょうだい児のコミュニティやきょうだい児のサイトなどもあります。

参考サイト:Sibkotoシブコト

そんな場所で同じ境遇のきょうだい児と繋がることは可能です。

また、きょうだい児に関する書籍などもあり色々な情報を得ることもできます。

誰かに自分の思いを吐き出すことで心が軽くなることもあります。

当時の私のように誰かに話をしたことで、光が見えてくるかもしれません。

「自分の人生は自分自身のもの」

きょうだい児が、決して自分の人生を諦めることがないように...。

この記事で少しでも多くの方に「きょうだい児の思い」が届き、社会にきょうだい児への理解が広がっていくことを願います。

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