娘が母子分離不安に…幼稚園から低学年まで娘に捧げた2年間

娘は幼稚園で辛い体験をして以降、娘は私から片時も離れることができなくなりました。

児童精神科では母子分離不安と診断されました。

私が近くにいないと不安になるだけではなく、少しでも離されようとしただけで、泣き叫び暴れパニックになり、尋常ではない程の不安に襲われます。

診断が付いたことで、医療機関や教育機関に配慮して頂いて、私は24時間365日、娘とずっと一緒の毎日を過ごしました。

娘が5歳から7歳にかけての2年間です。

母子分離不安:パニック症状

幼稚園で辛い体験を重ねて行くうちに、娘は人間不信になっていきました。

友達が怖い、大人は助けてくれない、誰もが娘を攻撃する人たちに思えていたようでした。

そんな幼稚園に行かせ続けた私に対する信頼も一時期崩れていました。

「幼稚園いきたくない」に秘められた悲痛な娘の思い、葛藤の日々

2019年5月5日

気がついた時には、私に対しての疑心暗鬼も娘の心の中には芽生えていたように思います。

私は懸命に、娘の信頼を取り戻そうとしました。

娘の心の中にはまだかろうじて、幼稚園に行く前の私との楽しい思い出が残っていました。

それを感じることができたので、まだ今なら間に合うのではないかと必死でした。

私は娘に

「これからは、お母さんが〇〇(娘)をきちんと守っていくから。信じて欲しい。大好きだよ。」

という気持ちを伝え続けました。

娘の中に、私をもう一度信じたい、私に助けて欲しいという思いが少しずつ膨らみ始めました。

幼稚園を辞めた後、娘は私から一切離れることができなくなりました。

食べるのも、遊ぶのも、寝るのも、トイレに行くのも全部一人ではできません。

少しでも一人になると、

「怖い!!」

と言って泣き叫び私にしがみついてきます。

普通の泣き声ではなく、心の叫び、物凄い恐怖を感じるレベルのパニック状態でした。

今ここにある娘の心というよりは、幼稚園でのことを再現しているような、私から離れたら辛いことが待っているというような切実な思いを娘の叫びから感じました。

その時から、私が一人になれる時間はゼロになりました。

寝ている間も娘は手で私を探し、私が居ないと泣き叫びます。

ごみ捨てにも一人では行けないので、娘が熟睡している夜明けに走って行きました。

誰にも娘を預けることはできません。

常に娘と2人、一時も離れることができない生活が始まりました。

母子分離不安:児童精神科へ

娘が

「生きていたくない。お腹の中に戻りたい。」

と話し始めたことをきっかけに、児童精神科へ通うことを決めました。

病院で娘はトラウマによる母子分離不安と診断を受けました。

病院でも一切私と離れることができませんでした。

娘の前で、娘の辛い思いや体験を話すわけにはいかなかったので、娘のことを誰かに相談することは精神科医を前にしても、当時は全くできませんでした。

私の胸の内を思いきり誰かに聞いて欲しい、誰かに助けて欲しいという切実な思いも、自分の中で消化することしかできませんでした。

唯一、精神科医の先生には近況を紙1枚にびっしりと記入し提出することで伝えていました。

娘を目の前にして助言を頂くことはできない日が続いていましたが、それでも娘が遊びに夢中になった時に、小さな声で、

「お母さん、大丈夫だから。辛いよね。でもこの状況がずっと続くわけじゃないから。」

と声をかけて貰っていました。

先生の言葉に、涙が溢れました。

誰かにわかって貰いたかった、話を聞いて貰いたかった、娘の苦しみを思うと辛くてたまらなかったです。

誰かに話しかけられても、娘は常に私の後ろに隠れていました。

娘が私の手を使い何かを選び、私を通して返事をするということがほとんどでした。

私は、娘に直接返事をして欲しかったですし、娘はこんなに消極的ではないと、周りにわかって欲しいという気持ちが強かったと思います。

当時は娘に自分で返事をするように促し、遊んでおいでと声をかけ続けましたが、決して娘は私以外の人とコミュニケーションを取ろうとしませんでした。

母子分離不安:24時間365日離れられない

きっと普通に暮らしている人たちには想像がつかないような暮らしを、私たちはしていたと思います。

24時間一緒にいるということは、24時間娘のペースに合わせた暮らしをするということでした。

赤ちゃんの時とは違って、娘は5歳でしたので、自分の意思を持ち、意見を述べ、自分のやりたいことがあります。

それでも、私と離れられず、私に合わせて買い物へ行き、銀行や区役所など私の用事に全て付き合わなければいけなくなります。

同時に、私は娘の遊びから、トイレ、手洗い、娘のすべてに付き添わなければならず、病院や新しい幼稚園全ての施設の方に配慮して頂いて、付き添いを認めて貰いました。

わがままではなく、トラウマが原因での母子分離不安ということを理解して頂けない場合は、2度とその施設を利用することはありませんでした。

一番役に立ったのは、児童精神科医からの手紙でした。

配慮をして頂くよう、先生は手紙を何通も書いて下さいました。

物凄くありがたかったです。

時として、お互いがお互いのペースに合わせて暮らす生活は、互いに我慢が必要で、時にはイライラが爆発しそうになります。

特に娘が徐々に元気を取り戻し、家では私から離れてトイレや手洗いなど一人でできるようになった頃には、喧嘩もよくありました。

「どうしてお母さんの用事ばっかりに行かなきゃいけないの!嫌だよ!」

と娘が言い、私は

「本当は幼稚園に行っている時間だから、嫌だったら幼稚園行ってくれてもいいからね。」

と言ってはいけない言葉で応酬してしまいます。

それでも、徐々に互いに妥協点を見つけ、

「今日はお母さんの用事が1つだから、〇〇(娘)の用事を2つ作っても良いよ。」

「今日はお母さんの用事が1つもないから、〇〇(娘)のやりたいことをする日にしてもいいよ。」

など、コミュニケーションを取ることに力を入れました。

用事がある人は、朝ボードに記入するルールを作り、言いづらいことは交換日記に記入して相手に伝えるようにしていました。

母子分離不安:娘に変化が

2年がかりで変化はゆっくり現れました。

初めは、児童精神科で私から離れて遊ぶことができるようになりました。

私が同じ部屋に居ることが前提ですが、私と距離を置いて心理士と娘で遊び始めました。

初めは私の近くで遊んでいたのが、いつの間にか私から離れて遊ぶようになり、その後

「お母さん見ないで。」

と言うようになりました。

恥ずかしいから見ないで欲しいけど、部屋からでないで欲しいという期間がしばらく続き、最終的には

「お母さん廊下で待っていていいよ。」

と言うまでになりました。

家では、最初は手洗いやおもちゃ探しなどから始まり、少しずつ私から離れて一人でできることを増やしていきました。

最後まで怖がっていたのはトレイに一人で行くことでした。

私の姿が見えない完全な別室に一人で入ることが、怖かったようです。

そこをクリアできたら、次はゴミ出し、そして歩いて3分のコンビニなど少しずつトライし、短時間なら一人でお留守番ができるようになりました。

2年がかりなので、本当に少しずつの変化でした。

劇的に変わることは一つもありませんでした。

今でも気持ちが沈んでいる時や疲れている時など、一人でいることを極端に怖がる日もあります。

私が心がけていることは、不安だったら私の傍に居れば良いと受け入れることでした。

娘が辛そうな時は、とことん付き合いました。

元気が出てきたときには、

「少し自分で頑張ってみなさい。〇〇(娘)なら大丈夫。」

と押しました。

大切なことは、娘の気持ちの見極めです。

娘からは何らかのサインがいつも出ています。

「まだ、ダメかも。」

「もう一人で大丈夫。」

言葉や行動のサインを見逃さず、見て聞いて最終的に母親の私が判断します。

3歩進んで2歩下がる、時には2歩進んで3歩下がる時もありましたが、それはまだ心の準備が万全ではないだけと思い、諦めることなく少しずつ前に進んでいきました。

当初は話しかけられた相手への返事を娘に促していましたが、途中からそれも止めました。

娘が安心できる相手ならきちんと返事ができるはず。

返事ができないということは、まだ怖い気持ちがあるからなので強制はやめよう。

娘が自発的に動けるまで待つことにしようと常に自分に言い聞かせていました。

私は娘が安心できる居場所を作るだけ、あとは娘の気持ちが動くのを待つしかないのです。

娘は私の後ろに隠れてずっと観察していました。

安心できたと自分で納得できて初めて、私から離れて動き出せるようになりました。

小学校2年生の娘。不登校、母子登校、放課後登校を経験して…

2019年5月13日

一人でできることが増えていくと同時に、娘にも自信が生まれてきました。

娘自身でこれはできる、これは避けたいという判断も可能になるまでに成長しました。

2年かけて乗り越えてきた経験を糧に、これからも少しずつ歩みを進めていきたいと思います。

コメントを残す