2言語で育児してたら勝手にバイリンガルに?無理強いは本末転倒

誰でも生まれたころからバイリンガルの環境にさえいれば自然と勝手に2つの言語が身に付くものだと漠然と思っていた私。

イタリア人との間にできた娘の育児を通してそう単純なものでないということに気づかされました。

日本語は母親からのみ

4歳8ヶ月の娘は日本人の母とイタリア人の父を持ち、2つの国籍を持っています。

ですが出産から育児までをすべてイタリアで行ってきたため、ほぼイタリア語だけの環境で育ってきました。

周りはみんなイタリア人の中、日本人の知り合いも少なく日本語に触れるのは私からだけという状況でした。

主人は日本語が全くできない為、家の中での会話はすべてイタリア語。

ですが娘と二人だけの時には日本語で話しかけるようにしていました。

娘が生まれたころは、日本から絵本やアニメのDVD を送ってもらったり、日本語で歌を聞かせるなど

「私しかこの子に日本語を教えてあげられないんだ!!」

と躍起になっていたと思います。

言葉が遅かった

子供の成長の過程をチェックするしっかりとした健診のシステムが日本ほどイタリアには整っていません。

言葉が遅いなと少し気にはなっていましたが、専門の医師などと特に話す機会もないまま娘は3歳になっていました。

3歳になってすぐに入園した幼稚園で、他の同年代の子供たちとの言葉のレベルの差は歴然でした。

何だか訳のわからない言語を話す娘を見て、先生方は

「きっと日本語を喋っているんだ」

と思いこんでいた程です。

実際にはイタリア語でも日本語でもない彼女独自の言葉を使っていて母親である私でさえ理解できないことも多々ありました。

こちらの言っていることはイタリア語であっても日本語であっても理解はしているふうでしたが、それに対しての答えが喋れないため会話が成立しません。

「大丈夫かな?」

と心配がよぎりました。

二か国語で育てることへの疑問

幼稚園の先生方はそんな娘に対し、バイリンガルである故仕方が無いと言いながらも、園での生活のためにもイタリア語を家庭でもおもに使うべきだとおっしゃいました。

ですが、私は直ぐには日本語教育を諦めきれず今まで通りに日本語で接することをやめませんでした。

そして入園から数か月がたち、幼稚園での生活のおかげもあってか、少しずつですがイタリア語でいくつかの言葉がはっきりと言えるようになってきていました。

その頃、娘はある事でよく怒りました。

そのある事とは、物の名前をイタリア語だけでなく日本語で言うことでした。

例えば、犬を見た娘は

「あれは” Cane” (イタリア語で犬という意味)であって、いぬではない」

と怒るのです。

そんな娘を見てわたしは遂に考えを変えました。

彼女の頭のなかでの混乱が見えるような気がしたからでした。

日本語を使って話すのを止めて、日本のアニメのDVDなども遠ざけるようにしてみました。

意固地になって学習させるのではなく、自分から興味を持ってくれるまで待ってみようと決めたのです。

事情を知らない人からは子供が小さい今のうちにしかできないのにもったいないと言われることもよくありました。

ですがこのままではかえってこの子に良くないと、母親の勘のようなもので直感を信じてみることにしました。

今現在娘は幼稚園の年中さんに通いイタリア語での会話もかなり上達しています。

ただ、他の子達と比べるとまだ言葉の発音などに遅れがあります。

幼稚園の先生方とも連絡を取り合い、かかりつけの小児科医に言葉の遅れを相談したこともありましたが特に問題があるようには見受けられないという診断でした。

主人も小さい頃から発達がほかの子に比べると遅かったということもあり、とりあえずは特別な支援などを申請することなく様子を見ていこうと夫婦間でも話し合っています。

無理強いしないことで得られた興味

最近の娘は「距離」という概念が発達して、自分が住んでいるイタリアという所のほかに日本という遠い国があるんだということがやっと分かってきているようです。

それに伴って、そこで母親が生まれ育ったこと、おばあちゃんが住んでいることなど色々と理解を始めました。

そしてこの遠い国への興味も湧いてきて、自分から進んで日本語での絵本を読みたがったり、アニメを見たがったりするようになってきました。

かと言っても日本語で会話など全くできませんし、いくつかの単語を時々発するのみですが今のところはそれでいいと思っています。

みんなそれぞれの性格や才能があるように、言葉の学習能力に長けている子もいればそうでない子もいます。

無理強いしてほかの言語を覚えさせようとしてその言語、そしてその言語を話す国を嫌いになってしまうのでは本末転倒であるように思うのです。

音楽を通しての学習

日本語でのコミュニケーションを避けていた時もひとつだけ続けていたことがあります。

それは歌です。

娘が音楽大好きというのもありますが、歌を通して無理なく日本語に接し続けることができました。

あどけない発音で歌う娘と一緒に歌いながら発音を正してみたり、歌詞の意味を説明してみたりとあくまでも遊びの延長として学習が行えるのはとても良いと思います。

大事なのはきっと他国の文化を愛する気持ち

まだまだ成長の過程でこれからどうなるか分かりませんが、私の母国であると同時に娘のもうひとつの故郷である日本、そして日本語に楽しく触れられる機会は与えながら長い目で見守っていきたいと思っています。

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