離婚、交通事故、失職、虐待…勇気を出して下した決断!

「一度お母さんになったら、一生お母さんなの。やめたくてもやめられないの」

小さな頃、母が私に言った言葉です。

どうしてそんなことを言ったのか、今では覚えていませんが、

このときの「母になる怖さ」は、いくつになっても消えませんでした。

結婚、出産、離婚

39歳で妊娠がわかり結婚、40歳で出産。

41歳でシングルマザーになりました。

「歳をとってからの子どもはかわいい」

「お腹を痛めて産んだ子は目に入れても痛くない」

世間一般に流れる言葉のどれもが、私の育児にはあてはまりませんでした。

「かわいい」が消えていく

ことば巧みな3歳児

言葉の発達が早かった娘は、3歳になる前から大人と対等に話ができました。

幼稚園が異年齢(たて割り)保育だったため、年上の子どもたちの強い言い回しを、おもしろがって私にぶつけるようになりました。

悪気はないとわかっていても腹が立ち、娘の言葉で傷つくことが日に日に増えていきました。

言葉の発達が進むほど、娘を「かわいい」と感じられなくなったのです。

二人暮らしのはじまりと交通事故

離婚後は実家で暮らしていましたが、母との折り合いが悪く、家を出て、娘と二人で暮らすようになりました。

私は毎日のルーティンをこなすので精いっぱい、娘は二人きりになった寂しさから言動が不安定になりました。

あらゆることに突っかかっては、暴力を振るう。

そうかと思えば、私の姿が見えないと大声で泣き叫び、トイレまで追ってくるのです。

そんな環境の変化に親子でようやく慣れた頃、交通事故に遭いました。

車で信号待ちをしていた際、ノーブレーキの後方車に追突されたのです。

同乗していた娘は、幸い全治1週間のケガ。

しかし、私は強い痛みと痺れが残り、片手の握力をほぼ失いました。

追い詰められていく毎日

仕事を失い、経済的な不安に襲われていました。。

仕事どころか、日常の家事さえもままならない毎日。

それに加え、事故対応の交渉事がいくつもあり、体を休める時間はありませんでした。

虐待してしまうかも…。

そう感じることが日に日に増えていきました。

疲弊していく気持ちとからだ。

虐待が現実に

そして、とうとう娘を傷つけてしまいます。

車に子どもを一人残し、閉じ込めてしまったのです。

その日は、娘が熱を出したため、幼稚園を休ませました。

私が一人で休めるのは、平日の日中だけ。

「どうして、こんな時に熱が出るの」

娘はなにも悪くない。

頭で何度もそう思いながら、目の前の状況への苛立ちを消し去ることができませんでした。

苛立つ気持ちをごまかしながら、2時間待って小児科の診察を終え、薬局で薬を受けとり、娘を車に乗せようとしました。

しかし、

「車いやだ~!歩いて帰りたい!」

と言いはる娘。

帰っておやつを食べよう、おもしろいDVDがあるよ。

そんな風に10分なだめても聞きません。

最後は、泣きながら足をバタつかせる娘を、無理やりチャイルドシートに乗せて出発しました。

走り出すと同時に

「○○の曲かけて!」

「○○が食べたい!」

「○○へ連れって!」

と、次々に要求をぶつけてくる娘。

私は、返事をする気力もありませんでした。

マンションの駐車場に着き、エンジンを切り、ハンドルを握りしめたまま下を向くと、こらえていた涙があふれてきました。

「助けて、だれか助けて…。

もうダメ、もう無理…。

たすけて、たすけて…」

そうつぶやいた私に、娘が言ったのです。

「泣くなー!ちゃんとしゃべって(返事して)!なんで、ちゃんとできないの!」

「そんなおかあさんイヤ!」

「ちゃんとできない」その言葉を聞いた瞬間、抑えていたものが一気に溢れだしました。

「じゃあ、ひとりでいたらいい!お母さんだけ部屋に行く!ここにいなさい!」

大声で叫んだ私は、娘一人を車に残して鍵をかけ、マンションの6階の部屋に行ってしまったのです。

ベランダを開け、洗濯物をとりこみ、大きな息を吐いても吸っても、怒りの感情はおさまりません。

けれど、耳の奥では娘の泣き声が聞こえ続けていました。

部屋にいたのは3、4分。

その間、自分が何をしていたのか、どのタイミングで車に戻ろうとしたのかを、今でも思い出すことができません。

駐車場の車がかすかに揺れています。

近づくと、娘の泣き声と車内を蹴る音が聞こえてきました。

窓越しに見える娘は、後部座席を行ったり来たりしながら、ドアを蹴ったり叩いたりしています。

ドアを開けた瞬間、大きな悲鳴が聞こえてきました。

娘は怯えきって狂乱状態。

顔は涙と鼻水でドロドロになり、髪と服は、水浴びをしたようにびっしょりと濡れていました。

「ひとりで、おかあさん、さがしてた。

いっぱいよんだけど、おかあさん、いなかった」

「こわかった!こわかった!こわかったの!」

嗚咽しながら話す娘の声は嗄れ、握りしめた両手は震えていました。

小さな声で

「ごめんね」

それしか言えない自分に、絶望しました。

「かわいい」が戻ってきた

娘の何を見ていたの?

その夜、眠った娘をじっと見ながらハッとしました。

こんなにちゃんと、この子の顔を見たのはいつぶりだろう…。

まんまるの目、少し上を向いた鼻、ぷっくりした唇、ぷくぷくした頬、さらさらの髪。

「なんてかわいいんだろう」

心の底からそう感じました。

娘の何を見ていたのだろう。

毎日一緒にごはんを食べて、お風呂に入って、隣で眠っているのに、私は何も見ていなかったのです。

気持ちどころか、顔さえも。

それは、娘だけでなく、私にもあてはまることでした。

余裕をなくした私は、悲鳴をあげている自分の姿を、いつの間にか見ないようにしていたのです。

怒っていても、かわいい

これを機に、娘の顔をよく見るようになりました。

泣いたり怒ったりしている時こそ、真正面から見つめるようにしました。

ぎゅっと握った手、

真っ赤な顔、

たれた鼻水、

睨みつけた目。

その必死で全力な姿に、思わず笑ってしまう日もありました。

顔を見ることで、

「かわいい」

と感じられるようになったのです。

自分ルールを自分で破る

数日後、知り合いのお母さん数人にメールを送りました。

「娘を預かってもらえませんか。

平日でも休日でも短時間でもいいです。

母の私が疲れ気味…。

もしOKな日があれば連絡ください」

と。

人を頼るのが苦手な私には、とても勇気のいる決断でした。

書いては消し、消しては書いてを繰り返し、いざ送信するまでに何日もかかりました。

けれど、送信ボタンを押した瞬間、スーっと胸のつかえがとれたのです。

助けて!

と思いながら、その助けを求めようとしなかった私。

自分を縛っていた縄を、自分で放つような気持でした。

実際、次々に返信が届きました。

「ずっと気になってたよ!」

「この時間なら大丈夫!」

「連絡くれてうれしいよ!」。

私は、ひとりではなかったのです。

娘と自分の「顔を見る」

子育ては、思いどおりにいきません。

今でも腹立ちや怒りの連続です。

だからこそ、

「毎日、娘と自分の顔を見る」

劇的な変化は起こらない。

そして、簡単そうで、実は難しい。

けれど、これからもしっかりと、見続けていこうと思います。

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