不登校になった娘が「HSC」と診断されるまで

小学三年生の娘が1学期の終わり頃から不登校になりました。

学校での嫌な出来事も少しはありましたが、対処しても未だに不登校のままです。

不登校はただ甘えているだけのように見えますが、その子の性格や病気が隠れていることもあることを知りました。

娘がHSC(=ハイリー・センシティブ・チャイルド)と診断されるまでの経緯についてお話ししたいと思います。

母から離れられない

不登校しぶりの間のことですが、学校に着いても私から離れられず離そう離そうと何分も娘と腕の引っ張り合いをしていました。

娘は「帰らないで!」私は「帰りたい!」そんな状況が続いていた頃、ネットで調べると母子分離不安という言葉を見つけ、今の娘の様子に似ていると感じていた頃の事です。

学校に着いても離れられない

保健室登校をしてみたり、下駄箱まで送ってみたりと登校をしぶっている時にいろいろやってみましたが私の腕を離してくれずなかなか帰れませんでした。

この頃はまだ無理矢理でも学校に置いていくと、その日は学校で一日過ごしご機嫌で帰ってきました。

先生からも

「仲のいいお友達と楽しそうに話したりしていて大丈夫でした」

との報告を受けていましたので、仕事もあるし無理にでも置いていこうと必死になっていました。

先生が家までお迎えに来てくれたこともありました。

一緒に歩いて学校まで行くこともありましたが、他の子たちの目線が気になるようですんなり連れて行くことは難しく、お休みする日もありました。

もうすぐ夏休み、それまでは頑張ろうと泣く娘を横目に学校を出ることが多々ありました。

夏休み中

夏休みはゆっくりさせて2学期からは元に戻るだろうと私も気持ちを切り替えていましたが、仕事があるので夏休み初日から学童での1日保育です。

初日はリュックを背負いお弁当を持ち仲の良いお友達と行くことが出来ました。

学校は行けないけど学童は大丈夫だ、と思っていましたが次の日から行きたがらず結局夏休みは最初の1日のみの利用になりました。

学童が嫌ならば留守番をするしかありません。

娘は学童に行くぐらいなら留守番をするというので、お昼ご飯を用意し1人で留守番することもありました。

仕事がない日はなるべく外に連れて行き遊びに行くようにしていました。

元気に過ごしていたので2学期は問題なく行けそうな気がして私も安心していました。

小児科で相談

1学期に気になっていた娘の言葉

「お昼ぐらいから腹痛がする。手足に力が入らない、震える。」

と言っていました。

私は深刻なのか分からず、担任の先生に伝えハンドクリームを持参することと具合が悪いときは保健室に行くように配慮してもらうことをお願いしました。

吐き気がすることもあるとのことで念のため小児科を受診しました。

小児科①

かかりつけの小児科には夏休み中に診察に行きました。

学校での症状を訴えたところ娘には

「何か嫌なことあるの?話してほしいな」

と聞いて、私に対しては

「仕事休めないの?」

と娘の症状に対するアドバイスがほしかった私には物足りない診察でした。

吐き気が出ることから一般的な吐き気止めを処方してもらい、

「次回来るときに学校の嫌なこと10個教えてね」

と言われ家で書かせましたがその後は行っていません。

小児科②

臨床心理士が定期的に来るので診察に行ってみました。

ここに来るまでにインターネットでOD(起立性調節障害)という病があることを知り少し当てはまるような気がしたので聞いてみることにしました。

簡単な問診を受けましたが、

「年齢的にもODではない。心の問題かな」

と言われ体調不良のはっきりとした原因も分からず私は更に悩むことになりました。

臨床心理士の面談予約をとり様子を見ることにしました。

小児科に行ってみて

小児科に行ってみて、これといった原因もつかめず毎日が不安で仕方なかったです。

娘には病院ばかり連れて行かれるので「私は病気なの?」と余計に不安にさせていたかもしれません。

小児科で解決しないなら心の病院(精神科)か発達障害を専門にしている病院に行ってみようかと考えるようになっていました。

やはり母としては病気が隠れているなら早くしって治療してあげるべきだと考えたからです。

2学期が始まる

2学期が始まっても初日から学校には行きたがりませんでした。

はっきりとした原因も分からず私も困り果てていたので娘にきつく叱ってしまうこともあり、私自身の心も苦しくて仕方ありませんでした。

臨床心理士と面談

臨床心理士の先生はよく話を聞いてくれました。

今までの娘の様子もそうですが私自身の気持ちにも寄り添ってくれ、小児科では解決しない悩みを相談できる場所でした。

ただ1日では解決になるようなことがあるわけでもなく、予約も1ヶ月に1回しか出来ないため娘がどういう症状でどうしたらいいのかという医師としての意見ではなかったため、相変わらず学校には行きたがらないし、仕事も行かなくてはいけないという前が見えない毎日が続きました。

保健室登校

ひとまず保健室登校をしてみることにしました。

一緒に泣いて帰りたがるということもなかったため、朝早く起きて娘と一緒に学校に行ってそのまま過ごします。

仕事は上司に相談し午前中は半休などもらって対応し午後は娘を留守番させて仕事に行きました。

このまま長くいられるようになればいいなと思っていたのですが、ある日お昼ご飯を買いに娘の許可をとって娘を置いて外出中、強い不安感と吐き気の症状が出てしまいそれ以来学校には行けなくなってしまいました。

あとから学校の先生から症状を詳しく聞いたときに、過呼吸のようになっていたとのことで、娘の症状の辛さを自分事のように感じました。

児童精神科探し

児童精神科は小児科のように簡単に予約がとれませんでした。

近隣のところはもちろん少し離れたところも予約がいっぱい。

予約がとれても半年後…。

娘のことが心配なのにすぐ診察してもらえないもどかしさで途方に暮れていました。

小児科③

途方に暮れていたある日、以前行った小児科の先生から電話をもらい、

「別の市になるけど小児科で児童精神も診ているところがあるから1回行ってみては?」

とわざわざお電話をくださいました。

先生も心配してくれていたようで嬉しかったです。

そして3カ所目の小児科へ。

そこで内容を話したところ症状が落ち着くようにとお薬を初めて処方してもらいました。

薬を飲むかどうかは親の判断かと思いますが、外出が出来ないほどの体調であったため悩みに悩み夜だけ飲ませることにしました。

薬は怖かったけど1週間程飲んでみたところ少し症状がよくなったような気がしたので少しずつ改善し安心しました。

児童精神科受診

ある日親から連絡をもらい、少し遠いけど児童精神を診ている先生が心療内科にいるからと教えてもらいすぐに予約をとって受診することが出来ました。

3カ所目の小児科に行ってから1週間程しか経っていませんでしたが、受診し今までの症状や現在の症状、学校での出来事、家での様子など全て紙に書いたものを持参しました。

言いたかったことを忘れないようにするためです。

そこで診断されたのが「HSC=ハイリー・センシティブ・チャイルド」という言葉でした。

聞いたことはありましたので「やっぱり」という気持ちと「娘の症状がわかって良かった」と本当に感謝しかありませんでした。

予約していた児童精神科は半年も待つように言われていたのですが、何事も色んな人に相談していたおかげかこんなにも早く受診でき、娘のことを知ることが出来、私は不安から少し解放された気がしました。

現在の様子とこれから

HSCの本を購入し読み進めていくとそこには娘と同じようなことがたくさん書かれており、きっと大丈夫、乗り越えられると確信し今に至っています。

様々な病気を疑って不安になってたくさんの病院を転々としましたが、最後に行った精神科の先生の言葉を信じようと思っています。

たくさん行くとどの言葉を信じていいのか分からなくなるからです。

今も不安が全くないわけではありませんが、病院に連れて行くたびに不安げな顔をしていた娘を見ていると、病院探しをしていない今の方が元気に過ごしています。

相変わらず不登校に変わりはありませんが、放課後に勉強を教わりに行ったり、自宅でも学習意欲も出てきたようで自分から勉強をしたり本を読んでいることもあります。

母から離れられない症状は相変わらずですが、精神科の先生に言われた

「ゆっくり焦らずに」

という言葉を常に念頭に置いて一歩ずつ少しずつ前を向いて進んで行こうと思っています。

辛いときは誰かに相談して1人で抱えないようにすることも大事だと振り返って思いました。

まだ学校は放課後しか行けませんし集団生活ができない状況ですが、娘が出来ることを増やし自信をつけながらゆっくり焦らず笑って過ごしていきたいと思います。

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