不妊原因は不明?タイミング、人工、顕微、妊娠できず歪む心…


私たち夫婦は結婚して数年経ち、妊活をしましたがなかなか子供が授かりませんでした。

そこで、不妊クリニックの門を叩き本格的に治療を開始しました。

当時の私は、不妊専門のクリニックで治療すれば

「すぐに妊娠できるだろう。」

と思っていました。

しかし、それは大きな間違いでした。

思うように結果は出ず、治療に3年という月日を費やしました。

それは私たち夫婦にとって長く辛い戦いでした。

これは、私たち夫婦の不妊治療体験記です。

治療中の思いや葛藤など赤裸々にお伝えします。

不妊治療の経緯

検査やタイミング法で終わった1年目

不妊クリニックで、まずは夫婦ともに一通りの検査を行いました。

結果は、二人とも「異常なし」

特に原因はないとのことで、まずはタイミング法からスタートしました。

しかし、タイミング法を何度も行っても妊娠にはいたりませんでした。

治療を開始したのは私が35歳のとき。

先生からは、年齢的なことを言えばだんだん妊娠率は低くなると言われましたが、この頃の私は

「原因はないからきっと大丈夫。」

と、ポジティブに考えていました。

2年目、期待をもってのぞんだ人工授精

タイミング法での結果が出ず、次に人工授精にステップアップしました。

ところが、ここでもよい結果は出ませんでした。

3回目の人工授精の後、先生から体外受精へのステップアップを勧められました。

私自身、年齢的にのんびりしていられないのは分かっていました。

しかし、この頃の私はまだ「不妊の自分」を認めたくなかったのでしょう。

「まさか自分が体外受精?原因がないのに、そこまでしないと妊娠できないの?」

と、どうしても気持ちに踏ん切りがつかず、次のステップに進めませんでした。

仕事を辞めた3年目。最終手段の顕微授精へ

結局、6回の人工授精を行いましたが、妊娠することはできませんでした。

この頃やっと

「自分は本当に不妊なのだ...」

と現実を認めざるおえなくなっていました。

そのため、不安も大きかったですが、勇気を出してステップアップすることを決意。

それと同時に仕事も辞め治療に専念することにしました。

年齢的なことや妊娠率のことを考慮し、確率の高い顕微授精を行うことにしました。

無事採卵を終え、凍結した胚(受精卵)を次の周期に移植しました。

しかし、1度目の胚移植は陰性。

胚のグレードも良く期待していたのでショックでした。

そして翌月、2回目の胚移植をおこないましたが、また陰性に終わりました。

葛藤...そして2度目の採卵・3回目の胚移植へ

もう胚は残っていなかったので、また一から採卵しなければなりませんでした。

「仕事も辞めて、ここまでやっているのに何で妊娠できないの??」

2度の移植も失敗に終わり、このときは自暴自棄になりだいぶ荒れました。

夫にも当たり暴言を吐きまくりました。

このショックは大きくしばらく採卵する気にもなりませんでした。

夫とも

「もう諦めようか...」

という話も出ました。

しかし、

「どうしても我が子を抱きたい!」

その一心で、再度チャレンジすることを決意。2度目の採卵を経て、3回目の胚移植に挑みしました。

結果は、陽性。

自分でも信じられず、しばらく妊娠したという実感もわきませんでした。

その後、妊娠の経過も順調で無事に女の子を出産しました。

頑張ってもむくわれない?!私が治療中に辛かったこと

先が見えない不安

不妊治療は「出口のないトンネル」とも言われますが本当にその通りでした。

いくら治療を続けていても、妊娠できるかは誰にも分からないのです。

だからといって、簡単に諦められるものでもありません。

治療の痛みやプレッシャーに耐えながらも前に進まなければならないのは、とても辛いことでした。

また、本人が努力したからといって結果が出るものでもありません。

漢方、鍼治療、布ナプキン、食べ物、身体を冷やさないなど。当時、私も妊娠に良いと聞けば、何でも試しました。

しかし、自分なりにいくら頑張ってもよい結果は出ませんでした。

痛みをともなう治療

通院のたび、注射や採血の痛みに耐えるのも苦痛でした。

また、私の場合は、採卵後に卵巣過剰刺激症候群(OHSS)になりました。

排卵誘発剤で卵巣が刺激されることで起こる症状です。

お腹張りと痛みでしばらく思うように動けず、ベッドの中で

「どうしてこんな痛い思いまでして、妊娠できないの?」

と涙が止まりませんでした。

ひたすら自分を責める

原因不明であるのにも関わらず、なかなか結果が出ない中で、私は

「原因は自分の歳のせいだ。」

と考えるようになりました。

私たち夫婦は諸事情もあり、治療は私が35歳からの遅めのスタートでした。

そのことについて周りの人に

「なんでそんなに遅く始めたの?」
「早くつくらないからだめなのよ。」

と言われたこともありました。

そんな言葉で余計に「原因は私」と自分を責めるようになりました。

治療に協力的な夫にも

「私さえいなくなればいい!」

などと当たり散らしてしまいました。

その結果、夫婦仲も悪くなった時期もあり、夫に

「もう治療をやめようか?」

と言われたこともありました。

歪んだ心と向き合う日々

不妊治療中、私の友人達は、2人目、3人目の妊娠ラッシュでした。

友人の妊娠報告を聞くたび

「私は1人さえ妊娠できないのに、みんなどうして?!」

と心から喜べない自分がいました。

また、子どもをもつ友人に治療をしている事を伝えると

「でも、子どもって本当に大変だよ!」
「夫婦だけの人生もいいかもしれないよ。」

などと言われ傷つくこともありました。

友人には悪気はなく、私を励まそうと言ってくれた言葉だと思います。

しかし、当時の私は素直に受けとることできませんでした。

そんな心が歪んだ自分と向き合わなければならず、自己嫌悪の日々でした。

重くのしかかる高額な治療費

不妊治療は保険でカバーできない治療も多く、経済的負担は大きいものでした。

顕微授精では、採卵、移植1クールで50万以上はかかりました。

終わりが見えない治療に高額な治療費を払うことも、大きなストレスでした。

私は治療3年目に仕事を辞めたので我が家の収入も激減しました。

それでも貯金や助成金制度を利用して、何とかやりくりしていました。

しかし、長引く治療で金銭的に厳しくなり、夫の両親にお金を借りて治療費を工面したこともありました。

結果が出るか分からない治療に借金するのはとても嫌でしたが、私たちにはそうする以外に方法がありませんでした。

おわりに~不妊治療を経験して思うこと~

今でも治療当時のことを思い出すと感情がよみがえり、心が揺さぶられる自分がいます。

私にとってはそれだけ精神的、体力的、経済的にも限界まで追い詰められた3年間でした。

正直なところ、もう2度としたくない経験というのが本音です。

しかし、不妊治療をしたからこそ、私は我が子をこの手に抱くことができました。

ですから、結果的にはあきらめず不妊治療を続けて良かったと思えます。

また、この不妊治療は私にとって「命」と真剣に向き合った3年間でもありました。

妊娠、出産することは決して当たり前のことではなく「奇跡」なのだと...。

これから先もこの経験を胸に刻み、娘を育てていきたいと思います。

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