義理母、義理祖母との辛い同居生活12年で私が得たもの

関西の田舎に嫁いで12年。

主人の祖母と母、弟と同居しています。

全く考え方の合わない義理家族との同居生活は、まさに地獄です。

主人の発言は尊重してもらえず、そんな主人と結婚してしまった私に居場所などなかったのです。

結婚直前に突然出てきた同居の話

主人は田舎に実家があり長男だったので、結婚前に何度も確認しました。

「実家で同居とかまさかしないよね?」

主人はずっと、

「うちはそういう家じゃないから、大丈夫。」

と言っていました。

今となっては録音しておけば良かったと後悔しています。

主人との結婚が決まり、両家への挨拶も済ませた段階では、同居のどの字も出ていなかったし、

本当に自立した親子関係なんだな、と信じていたのです。

だけど、結婚式のわずか2ヶ月前になって、突然主人が電話で、

「おばあちゃんが、長男が家を出るなんて許さないって言ってる。」

と言い出しました。

その時点では、まだ主人が説得してくれて回避してくれると思っていました。

義理母と義理祖母、ふたりの姑

主人に、母は片親だと聞いたことはあったのですが、

結婚前の私は特に気にすることもなく、どういうことかも分かっていませんでした。

後から分かったことですが、主人の父は婿養子として主人の母の実家であるこの家に入り、

主人が小さい時に出て行ったようです。

その後は義理祖母が母親代わりに、義理母が父親代わりに、主人と弟を育ててきたのだそうです。

そんな義理母と義理祖母はずっとこの土地から出たこともなく、

母娘で考え方も固執してしまっていて他人が入る余地などなかったのです。

核家族で育った私

小さいころから転勤族だった私の父の影響で、私は引っ越しにも転校にも慣れていました。

一か所に定住するという感覚がなかった私は、田舎の生活がどんなに窮屈なものか、全く分かっていませんでした。

ですが、さすがに主人の家族と住むなんて、と、結婚直前に突然でた同居話には反対していました。

主人も反対していたので、義理母と義理祖母に同居は嫌だと言ったみたいですが、話は勝手にどんどん進められてしまいました。

こちらの意見など、初めから聞く気などなかったようです。

核家族で育った私は、両親とも私に無理強いして自分の意見を押し付けられたこともなかったので、住む場所すら自分達で選べない、という状況について行けていませんでした。

結婚式の準備でバタバタしている裏側で、同居の話もどんどん進められていました。

気が付けばカーテンの色すら決められていた

今思うとなぜ、結婚をやめなかったんだろうと後悔していますが、

その時は主人のことがまだ好きで、この人と結婚したいと思っていました。

年齢の事もあり、私も少し焦っていたのかも知れません。

後になって知ったことは、同居の為のリフォームローン、キッチン・お風呂・家具・家電、すべて主人の名義でした。

私はその一切にかかわることなく、決まってしまっていたのです。

この時に気づくべきでした。

主人が実際にサインしているんですから、被害者を装った加害者であることを。

本当に同居を拒んでいるなら、ローンの契約書にサインなんかしません。

籍を入れた後だったので、もう後戻り出来ませんでした。

心が休まる時がない、新婚生活

主人の仕事は激務の為、いつも帰りは22時過ぎでした。

その為、新婚なのに主人と過ごす時間はほぼなく、

義理母、義理祖母との暮らしがスタートしました。

私も昼間はパートに出ていたのですが、毎日毎日家を出る前に

「今日は何時に帰るの?」

と義理祖母に聞かれます。

少しでも遅くなると、玄関で待っている義理祖母に嫌味を言われるのです。

休みの日に少し起きるのが遅いと、夫婦の寝室まで入ってきたこともあります。

本当に気が狂いそうな毎日でした。

でもその時の私はまだ、この家に馴染もうと頑張っていたのです。

早く子供を作れと言われる地獄

義理母はこの頃まだ働いていたので、家にいつも居るのは義理祖母でした。

私はこの人の暇つぶしをする為に、主人と結婚し、同居をさせられたのです。

毎日毎日、細かい小言はもちろん、主人や弟の小さいころの話、私の知らない近所の人の話など、

くだらない話に相槌を打たされ、精神的に追い詰められていました。

パートが終わってから、どうしても嫌で家に帰ることが出来ず、

車で4時間ぐらい時間をつぶすこともありました。

そんな日が増えてきたからか、義理祖母が

「毎日帰りが遅いけど、子供がいたらそんなフラフラ遊んだり出来ないでしょ、早く子供を作りなさい。」

というようになりました。

住む場所、帰る時間、子供を作るかどうか、全ての事を完全に支配され、私はおかしくなってしまいそうでした。

主人には本音が話せるけど

幸い主人は、帰宅が遅いながらも私の話は聞いてくれたので、その頃はまだ信じていました。

ですが、話を聞くだけで、解決に向けて動いてくれる人ではなかったのです。

本当に私のことを考えてくれるなら、そもそも同居話を解消するはずだし、助けてくれるはずですから。

新婚当初はまだ信じていましたので、この人との子供が欲しいと思っていました。

義理祖母の言いなりになるみたいでい嫌だけど、子供がいたら少し状況が変わるんじゃないかと思っていた時に、息子を授かったのです。

男の子の次は女の子?!

息子が生まれ、義理母と義理祖母の矛先がすべて息子に向いてくれたおかげで、私への小言は減りました。

ですが、次は女の子、その次は男の子を産めと訳の分からない事を言ってくるようになり、

産後のストレスと同居のストレスがピークだっと思います。

その頃のことはあまり思い出せません。

人は防衛本能かなにかで、記憶を消してしまうことがあるのかなと思っていますが、息子の赤ちゃん時代を思い出せないのが悲しいです。

その数年後、娘が生まれ、本当に義理母の言う通りにになってしまって悔しいと思ってしまいました。

でも息子と娘にはなんの罪もないのに、義理祖母のせいでこんな風に思ってしまうなんて、と自分を責めていました。

少し強くなった私

子供が2人になってからは、育児に忙しく、すべてを子供の為にと費やしてきたので、私も少し強くなっていきました。

主人はほぼ家にいない為、子供の事はすべて自分でと思っていました。

気を抜いたら、義理母・義理祖母に取られそうになるので必死です。

そうして今は、結婚12年目になります。

子供は二人とも小学生になりました。

義理母は定年退職し、義理祖母はお亡くなりになりました。

義理祖母のお葬式が終わった後は、不謹慎ですが、涙が出るほど開放感を感じることが出来て嬉しかったのです。

ですが、退職後の義理母が、最近、義理祖母にそっくりになってきました。

言う事も行動も、さすが親子と言わんばかりにそっくりで、恐怖を感じています。

主人は相変わらず、結婚してから何も失ったものはなく、何も深く考えずに生きているようで、そんな主人のことは、全く愛していません。

地獄のような同居生活で私が得たもの

実は5年前から、離婚・別居を考えるようになり、今はそれを実行しようと動き始めている所です。

結局人の考え方はどうやったって変えられないし、

正しいと思っている人に、別の答えもあるんだよ、と提案した所で、

受け入れる許容を持ち合わせていない人もいます。

それが義理家族でした。

合わない人とは、一生合わない。

一度しかない自分の人生なのに、合わない人に合わせて生きていくのは無意味だということ。

それが私が得た結論でした。

田舎から出た事のない人の考え方は固執している為、外部の人間が合わせてあげている、ということにも気付かないのです。

努力やストレスに気付いてもらえない暮らしというのは、自分を殺して生きていくのと同じです。

我慢が出来ない自分が悪い、とずっと思い込んで我慢してきましたが、そろそろ自分自身を大切にする道を選んでみてもいいのかな、と思っています。

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