「幼稚園いきたくない」に秘められた悲痛な娘の思い、葛藤の日々

幼稚園や保育園の前で、

「いきたくない」

と行き渋り、泣いて嫌がる子供をみかける光景は、春によく見られますよね。

お母さんの困り果てた顔、幼稚園の先生に引き離される姿、急いで園から出てくるお母さんやお父さんを、誰しも一度は見たことがあるのではないでしょうか。

娘は、4歳から幼稚園へ通いました。

「いきたくない」

と毎朝涙を流す娘を可哀想だと思いながらも、仕事へ行くためにも振り切る思いで、無理矢理幼稚園へ置いて行った日々。

慣れることができれば楽しめると自分に信じ込ませ、

「お母さんが見えなくなれば笑顔でいますよ」

という幼稚園の先生の言葉を信じ、登園を続けさせました。

1か月後、最初の異変は、娘の体に出てきました。

吐き気が止まらず、トイレへ1日50回行くようになりました。

それでも、転園するくらいなら、今の幼稚園で頑張るという娘を止めなかった私は、その後、何年も後悔することになりました。

間違えた幼稚園選び

娘は極度の人見知りでした。

少しずつ人見知りを克服させようと、3歳から習い事を始め、娘が教室に入れるように、あの手この手で先生が気を引き楽しませてくれたおかげもあって、ようやく私から離れて、他の子供たちとレッスンを受けることができるようになった程でした。

その後、引っ越しの関係で、娘は幼稚園に4歳の5月から転入することになりました。

5月でしたので、評判の良い幼稚園に空きはなく、さらにアレルギー対応をしてくれる幼稚園を探すことに難航し、ようやくみつけたのが、小規模の縦割り学級の幼稚園でした。

少人数ということで、娘にとっても、手厚い支援をして貰えると思っていましたが、とんでもない間違いでした。

満3歳児から受け入れていた娘の幼稚園は一クラスに満3歳児から5歳児まで集まる縦割りクラスです。

必然的に、ベテラン先生は満3歳児で手いっぱい、そして新卒の先生は卒園を控えた5歳児の教育にかかりきりで、4歳児にまで手をかけてくれる先生は一人もいませんでした。

丁度、縦割り学級に対する不満が4歳児の父母の間で噴出していた時期でもありました。

その上、小規模の幼稚園で、お母さん同士の駆け引きが強い幼稚園でした。

クラス人数が少ないために、仲の良いお母さん同士が結託して、子供たちの仲良しグループを固め、新しい子が仲間に入ることはとても難しい状況になっていました。

娘が入る前年は、クラスで一人の子を無視するということがしばらく続いて、大問題になっていたこともある幼稚園だと後で知りました。

とんでもない幼稚園にいれてしまっていたことに、しばらく気がつきませんでした。

大人しい娘は優等生?

娘は人見知りの為、幼稚園で泣いたりぐずったり文句を言うことは全くありませんでした。

先生にはとても良い子に映ったようです。

実際、娘はただ怖くて何も言えないだけでした。

先生が他の子を叱る怒鳴り声、食べられないと泣いていても、給食を無理やり食べさせられる姿、友達が意地悪しても見て見ぬふりの先生、どれをとっても娘にとっては恐怖でしかありませんでした。

友達に仲間にいれてと言っても、

「〇〇ちゃんは入れてあげない」

と言われることは、その幼稚園では日常茶飯事でした。

仲間外れは当たり前、無視や言葉の暴力も多かったことが後でわかりました。

娘は幼稚園が初めてでしたので、幼稚園とはそういうものだと思っていたようです。

その為、娘は私に幼稚園へ行きたくないとは言いますが、どうして幼稚園が嫌なのかを説明できなかったのです。

「ようちえんが いやだ」
「いきたくない」

という言葉でしか、娘は幼稚園で何が起こって、何を感じているかを表現することができませんでした。

子供を突き放すのが愛情?

「甘やかすばかりではなくて、子供が泣いても突き放す勇気が愛情」

幼稚園の先生に言われた言葉です。

今でもその情景は鮮明に記憶しています。

娘が私から離れたがらずしがみついていました。

私はもう、家に連れて帰ろうと思いましたが、先生2人に両側から娘を抱えられ、

「お母さん、帰って下さい」

という言葉と共に、上記の言葉を言われました。

娘の顔に絶望が浮かびました。

私は振り切るように、娘を置いて帰りました。

今でも忘れられない娘の顔です。

悔やんでも悔やみきれないあの日。

娘から笑顔が消えていった日です。

私は車の中で泣きました。

娘を連れて帰るべきか、それとも娘を置いていくことが、本当の愛情なのか、揺れました。

結局、私は幼稚園の先生は何十人、何百人と子供を見ているエキスパートなのだから信じようという、大きな間違えを犯しました。

娘はその日から、誰も信じられなくなりました。

私を含め、誰一人と信じることができなくなりました。

決定的なできごと(傷ついた娘の心)

徐々に娘に笑顔と元気が失われ、もう幼稚園を辞めさせようと思いました。

それでも娘は、他の幼稚園に行って一から始めるくらいなら、この幼稚園で頑張るからと言い続けました。

5歳近くになり、娘が少しずつ、少しずつ幼稚園の話をするようになりました。

迷いながらも、幼稚園へ通わせていたある日、娘が帰り道に静かに涙を流していました。

家に帰り、どうしたのか話を聞きました。

幼稚園でお弁当を食べる席を決める時、娘が先に空いている席に座っていたところ、前の席を数人の子供たちで取り合いになったそうです。

席を取り合う男の子たちの一人がじゃんけんで負け、途端に

「〇〇ちゃん(娘)があっちへ行けばいい。
 おまえなんていらないよ。
 どうしてここにいるのさ。どっか行けよ。
 おまえがどっかにいけよ。」

という言葉を何度も何度も言われていたそうです。

娘は喧嘩をしたくないので、何も言わず黙って耐えていました。

それでも心はとても傷つきました。

私は次の日、幼稚園の先生に話に行きました。

そこで、先生は

「その通りです。そんなことがありました。
 でも、子供たちだけで解決しました。
 自分たちで席を決めることができたのです。
 子供たちに任せて、私は何も言わず見守っていました。
 自分たちで解決できてよかったです。」

と誇らしげに話しました。

私は絶句しました。

子供たちは自分たちが間違えていることも友達を傷つけていることも学ばず、褒められてしまっていること。

傷ついた子供は傷つけられたまま、守っても助けても貰えないこと。

この幼稚園の先生たちを信じていた私はいったい何を見ていたのだろうかと、愕然としました。

娘の言葉を心の叫びをどうして100%受け止め、どうしてわかってあげられなかったのだろう。

後悔しても傷ついた娘の心はもう元には戻りません。

すでに娘はボロボロに傷つき人間不信になっていました。

幼稚園を辞めて…

幼稚園を辞めたら、娘は立ち直るだろうと思っていました。

幼稚園を辞めて、娘の傷は癒えるどころではありませんでした。

夜泣きに始まり、頻尿、母子分離不安、公園でもどこでも、友達と遊ぶことは全くできなくなりました。

特に、同じ年齢の子には近づくこともできませんでした。

公園に行っても、近所の子が遊ぼうと誘ってくれますが、決して娘は近くに寄りません。

友達から離れ一人で遊んでいました。

幼稚園を辞めてから、娘は少しずつ幼稚園の話をしてくれるようになりました。

仲間外れは日常茶飯事であること、先生は喧嘩の仲裁もしないこと、一緒に遊んでくれることもないそうです。

何もわからない途中転入の娘に対して、何の支援もありませんでした。

入園前に言葉の遅れがあること、幼稚園が初めてで人見知りが激しく、自分から友達の輪の中に入れないことも事前に話してありましたが、先生が娘を助けてくれたことは一度もなかったそうです。

娘は毎日、幼稚園から土の中に光輝くガラスを集めて帰ってきていました。

園庭でずっと下を向き、砂の中からガラスの破片を集めてきていたそうです。

周りを見ると友達が仲良く遊んでいる姿が目に入り、寂しくてたまらなくなるから、ずっと下を向いていたそうです。

そしたら、キラキラ光るガラスをみつけ、それをずっと毎日一人で探してポケットに入れ、持ち帰っていたのです。

私は、呆然としました。

いつも見せてくれるガラスの破片に、そんな悲しい思いが詰まっていたなんて、全く知らずに、

「きれいなガラスを見つけることができて良かったね。」

と言葉をかけていた、浅はかな自分に呆れます。

幼稚園を辞めてから、娘は毎日悪夢にうなされるようになりました。

次第に

「いきていたくない」
「おなかのなかに もどりたい」

と毎晩話しては泣き出すようになりました。

幼稚園を辞めて尚、トラウマに苦しめられていました。

今までの子育てで一番辛く苦しいと思ったのがこの時期でした。

こんな母親の元に生まれてしまった娘に、心から申し訳ないと、

「ごめんね。ごめんね。」

と涙ながらに謝る毎日でした。

転園先の幼稚園

私は仕事を辞め、娘の心を癒すことに専念しました。

友達と遊べない分、私と一緒にたくさん遊びました。

娘が好きな場所に行き、少しでも楽しめる時間を増やすことだけを考えていました。

同時に、小児精神科にも通い始めました。

小児精神科の先生たちにはそれから何年も助けてもらうことになりました。

そして、新しい幼稚園を探すべきか私は決めかねていました。

このまま家で過ごした方が良いのか、それとも新しい幼稚園を見つけるべきか、すごく迷いました。

保健センターの相談窓口や周りのお母さんからも情報を集めました。

そして、一つの幼稚園に出会いました。

支援を必要としている子に手厚いサポートをしてくれる幼稚園を見つけたのです。

その幼稚園に何度も足を運び、話を聞きました。

決め手となったのは、園庭です。

園庭に小さな池がありました。

娘は池のアメンボや昆虫に心を奪われました。

そして、野菜の収穫もさせてくれました。

自然の中で娘がとても穏やかな顔をしていました。

先生たちは決して娘を私から離そうとはせず、クラスの輪に無理やりいれることもありませんでした。

娘の状態を受け入れ、声掛けだけはいつでもどこでもたくさんして下さいました。

そして、園全体、保健の先生、用務員、園長、主任、支援員、担任の先生、たくさんの大人が子供と一緒に遊んでくれている姿を見て、娘と一緒にここで頑張ろうと決めました。

転園が決まり登園を始めても、最初は幼稚園の建物に入ることさえもできませんでした。

そこまでして幼稚園に通わせたいのかという批判があっても当然だと思います。

それでも、娘の中に最悪な思い出だけを残してしまったら、この先学校へは決して登校できないと思いました。

私ができることは、娘が安心できるようになるまで、ずっとついて登園することだけでした。

決して娘に登園を強制することなく、新しい幼稚園で楽しいことが待っていると話し続けました。

最初は玄関に入ること、次はホールに入ること、一歩ずつ、一歩ずつ、娘の恐怖を取り除くために、新しい幼稚園の先生がたくさん協力してくれました。

友達とも遊ばず、誰とも話さず、先生が話しかけても私の後ろに隠れ、友達が近づけば隠れ、ずっと見ているだけの一日を半年続けました。

その間、先生が怖がらない距離で話しかけ続け、友達が誘い続けてくれました。

娘の心がほんの少し動き出しました。

他の子供が友達と楽しそうに遊んでいる姿を、娘と私はホールの片隅で見ながら、私は失ったものの大きさを毎日痛感していました。

他の子が当たり前にできていることが、娘にはできない。

それを目の当たりにし続ける毎日がどれ程辛いものか、毎日自分がどれだけダメな母親であるかを見せつけられているようでした。

そして、娘が同じように感じていることに初めて気が付きました。

自分に自信を無くし、孤独に震え、いつの間にか自分はダメな子だと思い込んでいる娘が居ました。

そんな気持ちを娘にさせてきたのかと思うと、自分を許せない気持ちでいっぱいでした。

娘を愛し、守り続けることで、償いをするしかないと、私の人生のすべてをかけても、私はこの過ちを償っていかなければならないと思い、娘の心が動くまで、ひたすら他の子を眺めている毎日を続けました。

そして徐々にですが、担当の支援員の先生に、心を開き始めました。

最初はホールに入り、次に図書室に入れるようになりました。

娘と私と先生の3人で、ボードゲームを使って遊ぶことができるようになりました。

卒園近くには、娘が安心できる優しい友達2人と、一緒に遊ぶことができるようにまでなりました。

日によって教室に入ることができるようにもなりました。

私は、娘の幼さに救われたと今でも思っています。

もし、これが小学生で起こったことならば、果たして笑顔さえ取り戻すことができたのだろうかと、生きていてくれるだけで感謝しなければならないと思っています。

そして、母子登園という形で、2度目のチャンスが与えられたことに心から感謝しています。

もちろん、周りのサポートなしでは成し得なかったことだとも実感しています。

助けてくれた、精神科医の先生、臨床心理士の先生、新しい幼稚園の先生たち、そして友人。

周りの方々のお陰で、救って頂いた命だと思っています。

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