実母からの姉妹格差と孫差別を感じる日々…なぜ比べるの?

私には2つ上の姉がいます。母もお気に入りの姉。

私も姉も娘がおり、なにかと母に姪と私の娘を比較されます。

母からの姉妹格差、孫差別。

「お姉ちゃんの子供はそんなことしない」

兄弟、姉妹。

それは一番身近な存在。

よく聞く「血を分けた兄弟」

同じ親の遺伝子を継ぎ同じ環境下で育つ兄弟姉妹はどこまで似ているものでしょうか。

私の姉は誰にでも自慢できるような姉です。

綺麗で優しくて旦那さんとも仲が良く子育ても完璧。

そんな私の姉妹格差と孫差別のお話をしたいと思います。

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2019年3月21日

尊敬する姉

私にとって姉は仲のいい友達でもあり後輩が先輩に憧れるようなそんな存在でした。

少し抜けたようにも見える姉の風貌からはわからないような芯のある人間です。

幼い頃から私たちは仲が良く大人になっても2人でカラオケに行ったり休みの日には買い物に行ったりしていました。

もちろん幼少期には喧嘩もしていましたが次の日には仲直りするようなそんな関係。

友人からも羨ましがられるような仲の良い姉妹だったと思います。

20歳で妊娠し結婚した姉は周りの心配をよそに立派に子育てをしていました。

そんな姉を母も育児の手伝いをしながら感心していました。

私も初めて姪っ子が出来た事が嬉しく時間のある時には出来る限り手伝うようにしていました。

姪っ子は周りに愛されすくすくと育ちます。

そのうち2人目も産まれ姉は若くしてすっかりベテランママ。

私の中で姉は尊敬できる存在なのです。

私も結婚し娘が産まれて

私も26歳の時に結婚をして28歳で娘を授かりました。

姉の子供は10歳と6歳。

初めて出来た従姉妹を妹のように可愛がってくれました。

私も母や姉に相談をしながらなんとか子育てを頑張っていました。

もちろんうまくいかない事もあり悩む事だってあります。

こんな時みんなはどうしていたんだろう

こういう時なんて言えばいいんだろう。

そう思う事だってあります。

また娘は他の子に比べて少し甘えん坊で泣き虫なところもありました。

なかなか私のそばを離れる事が出来ない娘。

人見知りも激しく時には他人と目が合っただけでも泣き出す始末。

しかしそれも娘の性格だと私は思っていました。

姪と娘を比べる母

私は今まであまり気にしていなかった母のある言葉が娘が産まれてから引っ掛かるようになりました。

「お姉ちゃんはこうしていたのに」

この言葉自体は昔から言われていた言葉です。

当時は気にもしていませんでした。

いつもの事だったのです。

しかし娘が産まれてから言われるその言葉はどこか刺があるように感じてしまうのです。

例えば私の娘が好き嫌いをしていて悩んでいた時にも

「お姉ちゃんの子供はそんな事なかった」

「好き嫌いは親のあなたの責任だから」

そう言われてしまえば私は何も言えません。

確かにそうなのかもしれないのです。

でも私は娘を否定されたようで悲しくなりました。

姉家族の転勤

娘が産まれて1歳になる前に姉家族の転勤が決まりました。

以前から打診がある事は知っていたので両親も私たちも覚悟はしていました。

転勤が決まって2か月後には引っ越しというハードなスケジュールに姉は寂しがる暇もなく新年度を前に飛行機で行かなければいけないような距離に引っ越しです。

母は孫や姉家族が遠くに行ってしまう事をひどく悲しんでしました。

特に姉の長女、母にとっての初孫の子への愛情は別格です。

私は姉家族がいなくなる事よりも姉家族がいなくなる事で母が落ち込む方が心配でした。

しかしそうは言っても時期が来れば姉家族は引っ越していきます。

あっという間に年度末を迎え姉たちは引っ越していきました。

それから母は落ち込んでいましたが仕事もしていましたしそこまで落ち込むことはありませんでした。

長期の休みが取れれば旅行がてら姉の所に遊ぶに行く事も。

私は当時実家から電車で1時間の所に住んでいました。

姉家族が転勤してからというもの仕事をしていなかった私は度々実家に呼ばれるようになります。

もちろん私も暇にしている事が多かったので週に1回は必ず行っていました。

しかし実家に行き顔を合わせる回数が増えるたびに私の娘への小言は増えていきました。

私の娘ってそんなにダメな子?

顔を合わせる回数が増えるにつれて娘への小言は増えていきます。

「こんなに甘えん坊なんて○○(姪っ子)とは大違い」

「○○たちがこのくらいの時にはそんな事はしてなかった」

「○○たちがそばにいてくれたらな」

私は母に呼び出されては毎回そんな話をされていました。

私の娘は周りに比べれば甘えん坊で泣き虫で体も小さく内気な性格です。

私はそれが娘の性格なのだと思っています。

特に変えようとも思いませんでした。

しかし母にそういわれる度に私は傷ついてもいました。

出来る限り娘には聞かせないように私は聞き流すようにしていきました。

母の精神病

姉家族が転勤して3年が経とうとしていた時母は精神疾患を患いました。

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2019年3月23日

幻聴と鬱。

仕事をしている父と協力し出来る限り生活のサポートをします。

私には自分の家庭もあります。

しかし自分の母親。

自宅と実家、2ヵ所を往復する日々です。

母は当時の事をあまり覚えていない様でした。

私自身も精神的に疲れてしまい娘と笑って話すことが出来なくなっていました。

そんな母を心配した姉は子供の夏休みを利用し実家に帰って来てくれました。

すると椅子からほぼ動く事のなかった母が姉や姪っ子たちと笑って話しています。

私は嬉しい反面

「やっぱり母には姉たちが必要なのだ」

そう感じました。

どんなに私が四六時中母の世話をしても本当の心の支えにはなれないのです。

そう実感しました。

母のなにげない一言に…

一時は外に出る事も出来なかった母も少しは外に出られるようになり笑って会話も出来るようになりました。

もちろん完治ではありませんが病状が良くなったのは確かです。

私はこれで少しは安心出来ると胸を撫でおろしました。

しかしまだ母は精神的に弱っています。

時折発する言葉も真に受けてはいけないとわかっています。

「お姉ちゃんたちが今いてくれたら」

「転勤がなかったらこうはならなかっただろうな」

「○○たちがいてくれたら寂しくないのに」

わかっています。

私も姉たちがいてくれたらと思う事はあります。

姉がいてくれたら母の世話も役割分担が出来て私にも少しは時間が出来る。

それでも私は私なりに母の事はしてきたつもりでした。

しかし母はそれよりも姉たちがいる事を望んでいたのです。

所詮私は姉の代わりにもなれなかったのです。

時間を見つけては母に電話をしてきてくれる姉に

「有難いね。嬉しいな」

と毎回母は言っています。

私がどんなに献身的に母の事をしても姉のたった1本の電話にすら敵わないのです。

姉自身母の近くにいれないもどかしさを抱えているようです。

一番大変な時期を私にすべて任せて申し訳ないと。

私は姉が出来ないのは仕方がないし近くにいる私ができる事をするのは当たり前だと思っています。

姉に対して思う事は何もありません。

私は姉がいて良かったと心から思っています。

姉がいてくれたおかげで救われたことも沢山あります。

例えどんなに比べられたとしても。

それでもいつか母には私と娘を周りと比べずに認めてもらえたら。

そう思っています。

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