子供3歳の時に離婚!パパ大好きな娘と元夫との距離感は?

はじめまして!都内在住の4歳娘をもつシンママです。

離婚して、気づけば1年4ヶ月。

自分がまさかシンママになるなんて思ってもいませんでした。

今は自分の選択を受け入れて娘と楽しく二人三脚で暮らしています。

離婚当初は、自分の選択を素直に受け入れられず心が不安定でした。

一人暮らしをしたこともない私は右も左も分からないまま家探しからスタート。

正社員としてフルで働いていることもあり、家事や育児、保育園の送り迎えなどはパパの手を借りながらやってきた私でしたが離婚してからはすべて自分の仕事になり、会社での仕事と家事、育児の毎日で、たくさんの壁にぶち当たりました。

決して要領がいいとも言えず、たくさん悩んで、たくさん失敗して辛い経験をしたからこそ、自分自身が一番成長できた期間になったと今は思えます。

私自身の体験が誰かの役に立てばと思い、離婚に至った経緯や娘の心情などを赤裸々にまとめたのでぜひ読んでください!

離婚に至った経緯

3年半ほど付き合った7つ年上の当時上司だった男性と社内恋愛を経て結婚。

彼からは、付き合い当初に亡くなったお父さんが会社経営当初に残した借金を数百万肩代わりしている旨を聞かされました。

当時の私はまだ24歳で無知なところもあり、そんな彼を全て受け入れました。

土日になると趣味の競馬に没頭し、デート中に馬券を買いにWINSに行くこともしばしば。

馬券のネット購入が普及して、WINSがある場所からデートスポットを探していたことがストレスでもあったため、デート場所を左右されなくなったことが嬉しかったことを覚えています。

競馬を趣味にすることで、借金返済もあった彼は少ない生活費を毎月やりくりしていたこともあり、金欠になり喧嘩も頻繁に起きていました。

お金のこと以外は、家事もできて面倒見もよく一人っ子の私にとってはお兄さん的な存在で救われていた部分が大きく尊敬していました。

当時、30歳までに結婚したいと決めていた私にとって彼との結婚はストレートに決まりました。

最初に彼への不信感を抱いた出来事が起こったのは、結婚式資金を式3日前に式場に振り込む時でした。

彼方の祖母からお祝いとしていただいた100万を最後に合わせて振り込む予定でしたが、一向にそのお金を彼からもらえず、問いただしたところ全額遣い切ってしまった事実を知って驚きました。

結婚式3日前のギリギリ日程の中、結婚するかしないか頭をよぎった手前、参列者のことを考えると到底取りやめる選択肢はなく、まず100万をどうするかの頭にシフトチェンジするしかありません。

私は、その時に初めてブライダルローンで借金をしました。

当時は必死になりながら一人で考えた末の結論でした。今思うと、結婚式資金でさえ彼は一銭も出してなかったなとむなしくなります。

結婚式資金事件のことは、もちろん両親にも義母にも伝えることもなく、何事もなかったかのように義母名義のマンションの3LDK一室で、義母、彼、私3人の結婚生活がスタート。

そして、結婚して僅か2ヶ月で第一子妊娠が発覚して、あっという間に娘が誕生しました。

当時、娘誕生の嬉しさを裏腹に金銭面ストレスで常に不安を抱えて、初めての育児と義母との同居生活など全ての問題に押しつぶされストレスになっていました。

彼の給与の大半はローン返済に消え、私の給与を頼りにしていた分ブライダルローンの返済等もあり家庭は厳しかったのです。

娘が生まれると育休になるため、さらに金銭的に厳しくなることが不安で産前2週間前に産休入り、産後4ヶ月で復職をしました。

本当は欲を言えば、成長スピードが早い一歳までは娘ができるはじめてのこと(ハイハイ、つかまり立ちなど)を自分が一番に見たかったと振り返ると涙がでる想いです。

それから、娘は大きな病気もせずにスクスクと大きくなりました。

2歳の時に彼方の祖母が亡くなり、お義父さんがいないこともあったので血縁である彼にも遺産が数千万入りました。

その遺産で、苦しかった当時に作ったクレジットカード返済、ブライダルローンなどの返済をして、不安も解消されました。

やっとこれでリスタートと思った矢先…

考えても見ない恐ろしい事件が起きました。

遺産が入った半年後の確定申告時の2月下旬に彼から一通のメールが私宛に届きました。

「お願いがある。お金を借りられるかどうかの審査をしてほしい」と。

その時の私は「えっ?どういうこと?また?」と動揺しながらも、遺産がなくなってしまったことを確信。

予想は的中しました。遺産をもらって4ヶ月ほどで遺産が底を尽きてしまい相続税が払えない事態を把握しました。

私は彼に対して冷静に返信しました。

「二度も救えない。私しか娘を守れないから、私まで借金を背負うことはフェアじゃない。だから、私は借金を背負わないから自分の親や兄弟を頼ってください」

その時点では、私の中で“離婚”というキーワードは横ぎりませんでした。

両親が3歳の時に離婚して寂しい思いをした分、娘のために私は意地でも離婚しないという考えが強かったのです。

元夫は面倒見がよく子供好きなこともあるので、どんなに仕事が忙しくても家に帰ってくると娘との時間、そして私との時間を共有してくれました。

それから1ヶ月ほどが過ぎたある日。最終的に離婚を決意した出来事が起こりました。

義母と彼の遺産問題の話をした時のことです。

「失敗したわ!遺産が入ったタイミングでお金を少しでももらっておくべきだったわ」

と言いました。

一度も私に対して息子の失態の謝りもない上に第一声の発言にとにかく圧巻でした。

自分が苦労してきたことなどを吐き出せない苦しさもあり、娘のため私のためと言い聞かせて離婚を決意しました。娘が2歳児クラス(3歳になる年)に進級しようとしている3月下旬の出来事でした。

離婚決意から離婚成立までの魔の8ヶ月

離婚を決意してからは時間があればネット検索に明け暮れる日々でした。

「シングルマザー・1ヶ月生活費/シングルマザー・体験談/離婚方法/子連れ離婚・方法」

など色々な検索ワードで自分が納得するまで離婚方法やシングルマザーになってからの生活をイメトレするために調べ上げました。

第一に問題点とし浮上したのが、保育園問題です。

友達も多く通いなれた同じ保育園に離婚後も通わせることが娘のためになると思いましたが、行事参加や送り迎えに元夫が積極的に関わっていたこともあり、周りの目が気になってしまう危険性もあるため同じ保育園にこのまま通園させることは選択肢から必然的に外しました。

その結果、自分の実家がある近隣区に戻ることを決意しました。

今問題視されている待機児童問題が深刻なこともあり、一番入りやすい4月転園を狙うことを決めました。

翌4月から通うには12月中には手続きをしないといけないので、約9ヶ月で自立時の資金繰りや今後のことなどを考える時間に当てて水面下で離婚する準備を進めていたのです。

手続きするタイミングが12月ということもあり、その時点で離婚をしていないとポイントが加算されないので、娘3歳の誕生日を迎えた9月に彼に離婚したい旨を告げました。

離婚宣言をされた彼からの第一声は、

「離婚をしない」の一点張り。

その時に彼から言われた衝撃的な言葉が、

「まさかあんなことで離婚を切れだされると思わなかった」

です。

悪いと思っていないことが、あからさまに伝わったので憤りを感じた自分がいました。

そこから何度も話し合いを重ねて、ようやく離婚の合意を得られ、宣告してから約1ヶ月で離婚しました。

その時、結婚するのは簡単なのに、離婚するのは倍以上の労力と時間を要すると痛感。

特に子連れ離婚だと尚更、子の氏を変更するために家庭裁判所に出向くなど膨大な手続きつづきで苦労した数ヶ月でした。一番大変だったことは、やはり子供のことです。

3歳になりたての我が子に

「パパは仕事があっておばあちゃんと一緒に暮らさないといけないから、ママと2人で新しい保育園に行くために違うお家で暮らすよ」

と伝えました。

小さいから理解しないかな?と思いながらも、幼いながらになんとなくパパとママが離れ離れになること、今までの生活とは何かが違うことなどを察知していたようにも思います。

今思うと、当時は娘の気持ちを汲み取りすぎて常に情緒不安定でした。

娘に離れ離れになることを伝える時も不安定な気持ちで言葉を選びながら伝えていたため、そのまま心情が娘に伝わってしまったなと反省しています。

子供は親を常に見ているからこそ、親がブレると子供はもっともっと揺さぶれてしまいます。

娘のことを一番に考えた故の選択だからこそ、もっと胸を張って

「新しいお家ワクワクするね」

「新しい保育園どんなところかな?」

など声をかけてあげれば良かったと今だからこそ反省点が出てきます。

しかし、当時は娘のことを察することもできないほど自分自身が極限の状態でした。

その辛い体験を乗り越えたからこそ、今こうして当時を振り返りながら書けるのかなと思うと、乗り越えた自分を褒めてあげたいです。

シンママになってからの苦労話とリアル体験談

シンママになってからは、大きく5つの壁にぶつかりました。

第1の壁は、金銭面

彼(以後、元夫)との結婚生活中には貯金も底を尽きていたこともあり、新生活は実家に戻ろうとも考えましたが、自立をしたい私はどうも親を頼ることが性格上できませんでした。

自立資金(引越し資金、初期費用含み賃貸料、家具・生活用品など)が必要でしたが親には頼れず、狙ったのは元夫の12月に入るボーナスでした。

離婚後のボーナスでしたが、半分を自立資金にあてる約束を条件に組み込み離婚交渉したため、自分の残り少ない貯金と合わせて初期費用にあてられました。

結果、新生活の生活費が厳しくなる不安もあり初期費用をカード分割にして現金をできる限り残す選択をしました。

第2の壁は、家探し

一人暮らしすら経験がない私は、賃貸時に発生する初期費用でどのくらいかかるのかなどを調べて勉強するところからはじまりました。

あちらこちらに洒落た不動産屋から昔ながらの不動産屋まで街には多く点在しているため、いざ家探しをしようとしてもどこから手をつけていいか分からず、最初に調べたのは手っ取り早いインターネットでした。

しかし、そこには落とし穴が…。

私が払える家賃は一人暮らしレベルの金額が限界なので、探す物件は一人世帯用のものばかり。

その中でも、同居要相談物件も指折り程度にありましたが、“子供”というキーワードを出しただけでNGの物件も多く、直前で子供不可の旨を聞かされることもあり、家探しに2~3ヵ月かかりました。

もう少し子供の年齢が大きければ了承してくれたのでしょうが、3歳というまだ幼い年齢ということもあり、2階以上は対象外としていることで余計に決まりませんでした。

この家探しの時期は、さらに心に負荷がかかっていたなと振り返ると思います。

最終的には、同じ建物内に娘と同じくらいのお孫さんがいる高齢夫婦がオーナーの物件を見つけることができて救われた気持ちです。

家探しはワクワクする部分ももちろんありますが、ネットに掲載されていても実際には入居者が決まっているケースが多いのも実情。

子供抱えながらの家探し、また子供可の物件の少なさに絶句してしまいました。

第3の壁は、家事育児を分担できずフルパワーで過ごさないといけないこと

実際に新生活がスタートすると、最初に感じたのは時間が足りないことでした。

今までは、家事・育児を元夫と分担していたこともあり、仕事をしながら私一人で全てこなさないといけないことに四苦八苦しました。

出産当初からワンオペ育児であればもしかしたら慣れていたのかもしれませんが、まだ3歳のイヤイヤ期真っ盛りの娘を抱え、さらには正社員で働きながらこなすことは自分の選択とはいえ正直きつかったです。

保育園の送り(朝、残業の時には代わりにお迎え)、私が休日出勤時の子供の面倒、ゴミ捨て、お風呂掃除、子供のお風呂入れ、寝かしつけ、掃除、私が家事をやっている間の子供の面倒、洗濯の取り込みたたむ作業、公園に子供を連れていく、子供が楽しい場所に遊びにいくなど…元夫が実際に行っていたものはざっと並べてもこれだけあります。

正社員として働いていたからこそ、元夫が一緒になって育児と家事を積極的に行ってくれたことを実感し、感謝の気持ちでいっぱいになりました。

分担してやるべきことを半分半分にできていたからこそ、私自身仕事に打ち込み、趣味に没頭できたのも事実としてあります。

しかし、当たり前のことですが、シンママになってからはすべて自分の仕事。

どんなに仕事が忙しくても家に帰れば、家のこと娘の面倒を見なくてはいけません。

そして、難題が。今までは、どっちかが怒ったらどっちかがフォローしての体制が取れていたのが、一人二役をしないといけないことです。

その課題は、まだなかなか難しくトライしている最中です。

振り返ると、離婚当初はもっと人を頼ってよかったな、もっと甘えてよかったなと思います。

当時の私は、娘を私が引き取る以上は責任をもって立派に育てていかないといけないと強く感じ、そのプレッシャーに押しつぶされる想いで娘を育てていました。

娘は夜な夜な新しい環境で

「保育園に行きたくない」

「〇〇ちゃんのいる保育園に戻りたい」

「パパに会いたい」

など覚えたての言葉を並べて泣きながら必死に私に伝えていました。

娘が私に対して訴えをしてくるたび、私の精神は乱れて言い聞かせながらも泣き潰れる日々でした。

そんな娘でしたが、すぐにけろっと元通りになり無邪気に私を笑わせてくれるなどたくさん救ってもらいました。

落ち込み、すぐにまた頑張ろう!を繰り返していくうちに娘も4歳になりました。

今はパパに会えること、パパとおばあちゃん(義母)が住んでいる家にお泊まりにいくことを楽しみにしています。

第4の壁は、体調が悪い時

私は、慢性偏頭痛とギックリ腰を抱えています。

頭痛は、週4~5回ほど起こり、酷い時ですと吐いて寝込むほどです。

ギックリ腰も数年に1回ペースでしたが、新生活になってからは体重がある娘の抱っこなどをしていたので1年で2回腰を痛めてしまいました。

具合が悪い時の娘の相手や世話、食事の支度、お風呂に入れるなどは元夫が進んでやってくれていたこともあり、新生活になってからはどんなに腰が痛くても具合が悪くても、その状況で子供の面倒を見ることがどんなに大変なことかを思い知りました。

第5の壁は、周りの目

保育園には特に離婚していることを好評していませんでした。

自分では気にしないと思っていても、離婚している手前いろいろな場面で他人の目が気になるようになりました。

「なんでパパはお迎えこないの?」

「運動会、パパまた忙しいのかな?」

や休日に2人で出かけると

「パパとママと今度は三人でお出かけしたいね」

と言われるようにもなりました。

娘が通っている保育園は、比較的パパの参加率が高く、積極的にパパが子供の送り迎えをしていたり、行事に参加していたりなど目立ちます。

だからこそ、気にしないようにしていても勝手ながらパパがいてくれて羨ましいと思うこともあるのが事実です。

また、4歳くらいなると子供同士で家での様子をおしゃべりする機会も増え、その時にパパのことを聞かれることもあります。

娘が嘘をついたことを知った時が一番悲しくてショックでした。

子供ながらにパパが家にいないということをお友達に隠そうとしている姿を目の当たりにして涙が止まりませんでした。

嘘をつかせてしまった事実を受け止め、それからは娘の気持ちを優先にして“パパ”というキーワードを保育園でも口に出すようになりました。

それからは、娘もパパの話を嬉しそうにお友達に話すようになるなど少し穏やかになり、今は良かったと思っています。

現在も、

「シンママじゃない?」

と思われていないか周りの目を気にしないわけではありません。

しかし、自分が決めた選択で間違っていないと胸を張って楽しく穏やかに過ごしていきたいなと今は思えるようになりました。

元夫との距離感

元夫との関係は凄く難しいです。

子供がいなかったら所詮は他人で終わるところが、二人の血を分け合った子供がいる以上は、その子供にとってのパパとママなので切っても切り離せません。

切り離せない事実を分かってはいますが、切り離したい気持ちの方が大きいが故に受け入れるまで苦労しました。

欲を言えば元夫の存在を忘れたいので会いたくもなく、子供の面会すらさせたくないです。

しかし、子供自身パパのことが大好き。

私が普段忙しくてなかなか遊ぶ時間を作ってあげられない分、悲しい思いをさせてしまっていると思うこともしばしばですが、パパと会うとフルパワーで遊んでくれるので娘は面会を楽しみにしています。

一緒になって遊んでくれること、構ってくれることがとにかく嬉しく、笑顔で私の元に毎回帰ってくる嬉しそうな娘の姿を見て、今まで元夫との関係に悩ませていましたが、全て捨てて娘の気持ちを一番に考えることにしました。

それからは、元夫には保育園の理解もあり運動会や表現会など行事にも参加してもらうようになりました。

私がどうしてもお迎えが難しい時は、元夫に代わりにお迎えにいってもらい、そのままお泊りという時もあります。

悩めばきりがないので、娘の気持ちを尊重することで行動するようにしています。

娘は

「パパとママとディズニーランドへ行きたい」

など、一緒にどこかにお出かけしたいとよく言います。

行けない理由に

「ママは仕事が忙しいからパパと行って来て。ごめんね!」

という断り文句を使うときもたくさんです。

毎回ではなくても、娘の誕生日には私の親にも了承を得て、元夫も呼んでお祝いをしたりもします。

時には、娘のためと思い三人で出掛ける時もありますが、私自身どうしても嫌な時は母にも来てもらっています。

パパを変に遠ざけないようになったら、娘の心も安定してきました。

最近では

「おばあちゃん、パパ、ママの家とかいっぱいお家があって嬉しいなぁ」

なんて言ったりもします。

私が厳しい分、他は甘いので泊まりにいくと好きなものを食べられるなど娘自身もメリットを感じているのです。

いつのまにか、子供自身も成長して、本当はなんとなくパパとママが一緒に住んでない理由を分かっているのに、子供ながらに理解していることに救われた気持ちもあります。

かわいそうだなぁと思う時もありますが、子供が笑顔でいてくれるので、その笑顔をこれからも守っていこうと思います。

子供が一番!迷ったら子供の気持ちを優先に!

子供にとってのパパとママの存在。

私にとって元夫の存在は、今や娘のパパでしか過ぎません。

しかし、娘にとってたった一人のパパということはずっと忘れてはいけないと思っています。

娘がどうしたいのかを汲み取ってあげるのが私の使命であると思っています。

最近では、すっかりお姉さんになり、保育園のお友達が次々と妹や弟ができるたびに、

「なんでうちには妹いないの?可愛いのに」

と欲しがる様子も見受けられます。

離婚当初は、再婚をすることを勿論考えられずにいましたが、自分が一人っ子で苦労した分、娘には兄弟を作ることを夢にしていた私は娘のそんな一言で子供を産めるうちに再婚したいと視野に入れることができました。

再婚時にぶつかる壁は、苗字の変更と、保育園のお友達との関わり、元夫の存在です。

苗字の変更と保育園のお友達の問題は、小学校入学時を狙えば問題ないですが、やはりずっと纏わり付くのが元夫。

娘にとって再婚なんて関係なく、パパと会えなくなることは彼女の心を乱す要因にもなります。

だからこそ、私は再婚しても、学校行事などの参加は控えてもらうにしても面会は続けさせたいです。

そのためには、娘のことを心から可愛がってくれて、血縁の子供が生まれても分け隔てなく愛してくれる、そして、家事・育児・仕事を三立できるように全面バックアップしてくれる、そんな人に出会えたらいいです!

離婚した時は絶望的で先が真っ暗でしたが、今次のステップに進みたい!という気持ちにさせてくれたのは、間違いなく娘の存在。

母として、一人の人間として人生一回限りがモットーな私の気持ちを呼び覚ましてくれた娘をこれからも何があっても守り、気持ちを尊重して毎日楽しく過ごしていきたいと思っています!

時に迷うこともたくさんあります。

だからこそ、迷った時は子供の気持ちを一番に!

それをずっと忘れないで、子供の笑顔を守っていきます。

離婚も悪くないな。成長にも繋がり、何より子供を守るための手段ですから今はこれで良かったと自分を褒めてあげたいと思います。

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