吃音の苦悩は本人にしか分からない?家族は安心できる環境づくりを

始まりは、幼稚園のお遊戯会でした。

子供の役を与えられていた私のセリフは

「おかあさん」

の一言だけ。

しかし、その一言が出てこないのです。

「お、お、お、お、お、お、お」

セリフが言えない私に、先生が苛立ち母に話したことで発覚したようです。

吃音の自覚ない幼年期

母は自営業をしていて多忙だったので、

「早くして」「急いで」

などと自分が言ったせいかもと反省し、それからは、ゆったりした生活を心がけてくれました。

私が吃っても、最後まで話すのを待っていてくれました。

家族が温かく見守ってくれる環境だったのと、小さかったこともあり自分が吃音だという自覚がなく、外で元気いっぱいに毎日遊んでいました。

小学校入学

小学校入学時に、母が担任に相談して担任の恩師が吃音の分野に詳しいということで大学の教育学部の先生の所へ何度か通った記憶はあります。

しかし、病院についたり薬を飲んだりしたことはありません。

幼いながらに覚えているのは、言葉が胸の中に溢れているのに口から出てこない。

苦しくてもやもやする気持ちです。

周りと違うことを自覚

自分が周りと違うとはっきり自覚したのは、小学生3年生の頃です。

自己紹介や本読みなど緊張する場面では、あいうえおの母音から出る言葉が、口は開くけど声が出てこないのです。

自分の番が来たらどうしよう。

自分の順番の前で本読みが終わらないから。

自分の順番の本読みの箇所を探し、言いにくい言葉がないか探してどうやって対処しようかと考えて頭の中で練習します。

案の定、言葉が出てきません。

途中で詰まることもあります。

そうしたら、かかとで床をポンと蹴ったタイミングで言葉を発していました。

うまくいく場合もあれば、失敗もありましたが、苦労しながらも基本的におしゃべりなのもあって、言葉に詰まりながらも人と話すのをやめませんでした。

私の話し方がおかしい時に

「どうして変な話し方するの?」

と聞いてくる子もいれば、気を遣って困ったような顔をして見ているだけの友達。

会話の中で詰まってしまったら、笑って話を変えて自分なりに工夫していました。

先生との出会い

劇的に私の吃音が変化したのは、小学生5年生で担任になった先生の存在です。

吃音に気づかれたくない、笑われたくないと下を向く私に

「他の子にあなたの気持ちを作文に書いて伝えてみなさい」

と言ってくれました。

私は作文に書いてみんなの前で読みました。

どもって悲しかったこと、言葉が出なくて苦しかったことを。

すると、クラスの中では私がどもるということが当たり前なので、誰も笑ったり、不思議そうに聞いてくることもなくなりました。

私もカミングアウトしたことで、隠そうという気持ちがなくなり、みんなが知っているから緊張感も少なくなり、段々どもる回数も少なくなりました。

たまに会話中につまづいたりする時は、さっと言いやすい言葉に変換して話しました。

1番に使いたい言葉とは違う2番目の言葉を使うのです。

意味は伝わるけど、妥協した感じがします。

言葉を変えたことで伝わるけれど、ピッタリ伝わるわけではないので、悲しく負けたような気持ちになりました。

言葉で話せない分を取り返そうと、作文を書くことで心のバランスを保っていたように思います。

道徳の授業など作文を書く時に、一番使いたい言葉が使いたいタイミングで使えるので自由を得たような気持ちになりました。

吃音との折り合いをつけた中高生時代

その後、中学校、高校に進学して治ったわけではないけれど言葉を言いかえるという技術が上手になり、話す前に自分がつまづきそうな言葉が分かるので、言う前に変更してうまく付き合っていけていました。

だから、中・高校で吃音について指摘されたことも自覚することもなかったので新学期の自己紹介さえクリアすれば穏やかな学校生活を送ることができていました。

しかし、演劇部に入り、早退した先輩の代わりに台本を読む時にまた吃音が出てきたのです。

台本の文字を棒読みすればいいだけなのに、声が出てきません。

声帯に蓋をされたように声になりません。

「なんで読めないんだ」

顧問の先生は怒り、周りはざわつき、私は気まずくなって他の方に変わってもらい、それを機に大道具にうつり2年になると退部しました。

吃音は影を潜めながら、突如出てくる存在として常に側にいました。

社会人になってからも悩む吃音

派遣でコールセンターで働いていた時のことです。

「おはようございます」

「ありがとうございます」

から始まるそのセリフが出てこないのです。

頭の中には言葉がぐるぐる回るのに、口があの形をした口のまま固まり、口だけでなく顔も体も固まり、一瞬自分だけ時間が止まっているように、周りから取り残されてしまいます。

受信専用の仕事なので、電話を取った回数が多いほうが仕事をしていると評価される世界。

自分から電話を取らないといけないのに、恐怖から手が電話に伸びません。

誰かが電話を取ってくれたらホッとしている自分がいました。

周りは無理しなくていいよと言ってくれるけど、給料泥棒のようでいたたまれなく、逃げるように早退して道端で涙を流したこともあります。

自分なりに分析してみた結果、マニュアルで決まった言葉を話さないといけない所はダメ。

コールセンターや、会社の受付や事務など電話が関わる業務はダメなことが分かりました。

人が少ないシーンとした空間で自分の声や話し方を聞かれているというのも苦手です。

それを避けて転職活動をした結果、自分の居場所を見つけることができました。

やっと見つけた自分の居場所

私が次についたのは家電量販店の仕事でした。

対面でお客様と話をすると吃音もでてきませんでした。

騒がしい店内は、自分に注目されることがないためかえってリラックスできるようでした。

吃音を理解してもらえない

吃音は病気ではありません。

けど、完全に治るものでもない。

分かりやすい吃音の人もいれば、分かりにくい吃音の人もいます。

吃音について悩んだのは、学生の頃よりも大人になって働くようになってからの方が多かったように思います。

お金をもらい、責任が出て失敗ができない状態になって、私はなぜ普通に他の人と同じように簡単なことができないんだろうと苦しみました。

「ありがとう」

と言ってお客様をお見送りするタイミングで私は、言葉が出てこなくて無言で見送りました。

すると、上司は、

「なんでありがとうくらい言えないの。なんだかんだ言ってさぼってるだけでしょ。きちんとやってよ」

吃音であることを話していたにもかかわらず、心ない言葉をかけてきました。

そのことを先輩に話したら、

「私があなたの代わりに、ありがとうって言うよ。その代わり、私ができないことはあなたが助けてね」

と言ってくれました。

失敗して落ち込んでいる時に声をかけてくれた先輩。

大したことないよと言ってくれた同僚。

たまに失敗したりくじけたりする時に、フォローしてくれる友人さえいれば、また立ち上がって頑張れる。

そう思うようになりました。

まとめ

現在も、吃音の人を理解してくれる世の中ではありません。

吃音の存在を知らなかったり、理解してもらえずに傷つくこともあります。

でも、うつむいて沈黙しないで顔をあげて勇気を持って自分の居場所を探してほしいです。

吃音の子供を持つ親の方には、子供がリラックスして話せる環境を作ってあげてほしいです。

学校の先生と連携してクラスで見守ってあげる環境づくりができたらなおよいと思います。

吃音のつらさや悩みは本人にしか分かりません。

出口のないトンネルに入ったみたいで一人で悩みをかかえてしまいます。

信頼できる友人に話したり、仲間に理解してもらうことで話しやすくなると思います。

また、吃音経験者の方が開いた吃音教室が関西にはあります。

話し方の練習やコツを教えてもらうことができます。

ぜひ、参考にしてみてくださいね。

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