生後6か月で始まった在宅医療!在宅酸素は?経管栄養は?

半年のNICU入院を経て退院することになりましたが、慢性肺疾患があり、また、自力哺乳ができないため、経管栄養と在宅酸素が条件で退院することが決まりました。

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待ちに待った退院ですが、在宅医療という初めての経験もあり不安もたくさんありました。

それでも24時間、自分の娘と一緒にいられる!

面会時間1時間じゃなくてずっといられる!

という喜びはこの上ないものでした。

しかし退院してからしばらくは、謎の夜泣きで夜になると凄く泣くので抱っこしてもずっと泣いていて、とにかく大変でした。

訪問看護の助け

退院してからすぐに訪問看護の助けを得ました。

入院していた病院で紹介してもらい訪問看護をお願いして、定期的に訪問してもらっていました。

退院直後に大変だったのは、経管栄養のチューブ交換です。

入院中は看護師さんがやってくれますが、退院したら私がやらなければならない仕事でした。

この交換が非常に怖くて・・

最初は慣れなかったですが、徐々に手馴れてきました。

後は、お風呂に入れるのに苦労しました。

常時酸素をしているわけです。

どうやってお風呂に入れれば良いのかわからなかったし、病院とは勝手が違うので余計に苦労しました。

この辺も訪問看護の方と相談しながらベストな方法を考えてもらってクリアしました。

私の話し相手でもあり、アドバイザーでもありました。凄く勇気づけられて良かったと思いました。

在宅酸素の生活

慢性肺疾患と診断された娘は、呼吸が苦しくなりやすく酸素が必要でした。

常に、鼻の近くに酸素を送り呼吸の状態が苦しくないか調べる装置を付けていました。

暴れたりするとその装置がアラームがなったりしてかなりうるさかったです。

また、在宅酸素は大きなプロパンガスを室内に設置して使用しました。

定期的にガス屋さんがガスを交換にやってきていました。

外出する時は、小さなガスボンベを私か主人が背負って行くという感じでしたが、基本的に外出は通院の時くらいでしたので頻繁ではないものの、外出一つでも大変なものでした。

自力哺乳できず経管栄養

経管栄養とは、鼻から胃までチューブを挿入して、ミルクを管で注入するというものでした。

なぜこれが必要かというと自力で母乳を飲むことも、哺乳瓶でミルクを飲むことも娘には難しかったからです。

今では考えられないことですが、哺乳瓶で5mlのミルクを飲むのに30分は要していたし、結局飲めませんでした。

飲めない理由は、飲むのにも肺の力が必要ということです。

慢性肺疾患の娘には、飲むということが非常に難しく、結果的に100%経管栄養に頼って生活していました。

しかし、チューブで注入というのは、必要以上に時間を要し、一日何回も注入しなければならないのと、一回の注入にも時間がかかるため、実質私は一日中洗い物と搾乳とをしている生活を送ることになりました。

手荒れが酷かったのは言うまでもありません。

療育通園

生後半年NICUに入院していて、2歳まで自宅療養していた娘ですが、2歳くらいから酸素も取れはじめ離乳食の練習をしていました。

しかし、なかなか食べれないという悩みも持っていて、療育相談を始めました。

自治体の療育に相談して面談を申し入れて、面談を経て通園が開始されたのですが、通園は週1日通うものでしたが、その際にPT(運動療法)やOT(作業療法)やST(言語聴覚士)の療育を通園中に受けながら、通園では小集団でゲームをしたり歌って踊って遊んでという事をしました。

人見知りだった娘も、これらの活動により少しずつ人見知りも改善されていきました。

また、何が良かったかというと、クラスの先生が親身になって私の話を聞いてくれた事が一番大きかったです。

体重が増えなくて食べてくれなくて悩んでいた私にも優しく、一緒に悩んでくれてアドバイスもしてくれました。

療育に通って、母子分離できなかった娘が母子分離できるようになり、食事も食べられるようになったのは大きな収穫でした。

実は、経管栄養時代は、体重はかなり順調に増えていたのですが、離脱してからは下降一直線で危なかったのです。

何度もやめては復活してを繰り返していました。

脱水症状が出てやっぱり経管栄養に戻したり、どこまで出来るかというのは毎日、体重を測って一喜一憂の世界でした。

この療育にきてから流動食から固形食まで進んで、更に母子分離も出来て歩くこともできるようになったのです。

まとめ

娘は、運よく年少から加配付きで公立保育園へ入ることが出来るようになりました。

週5ではなく週3保育園へ行って、残り週2は療育通園という生活でしたが、保育園では刺激をもらいに社会性などを学ぶためにも必要と思って通わせるようにしましたが、体力的にもかなり鍛えられたと思います。

療育では、やはり悩みを相談したり訓練したりというのを続けていきましたが、やはり何よりも相談する場所を常に確保するのは重要だと思いました。

何かあった時に相談出来る場所です。

しかし、療育は入るのがかなり大変というのと仕事しながらだと中々通えないというデメリットもありました。

我が家は、良いタイミングで療育に通えるようになったこと、保育園に通うようになったことが転機だと思っています。

私が手に職を持っていたから、在宅でも仕事できたからこそ、療育通園中に仕事したり保育園へ行かせたりできたわけですが、それもまたラッキーだったのだと思います。

医師からずっと心配されていたことは、肺炎にならないか・・・?

ってことでした。

たとえ療育でも、集団であるには変わらず、病気をもらわないか?

かなり心配されました。

保育園に入ってたくさん熱をだして私も心配しました。

でも、運よく娘は大きな病気もなく肺炎にもならず過ごすことができました。

在宅医療は、思っていた以上に大変なものでした。

いつまで続くかわからないという中での作業の繰り返しに滅入る事もありました。

買い物も行けないから、週末に主人にメモして買ってきてもらったり、生協を利用したりしていました。

支えとなってくれた家族と訪問看護と療育とNICUの先生の助けがあってこそ乗り越えられたと言っても過言ではありません。

一人で全部背負うのではなく、誰かに助けてもらいながら在宅医療を乗り越えていくのが良いと思います。

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